パウロス(英語表記)Paul

翻訳|Paul

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「パウロス」の意味・わかりやすい解説

パウロス
Paul

[生]1901.12.14. アテネ
[没]1964.3.6. アテネ
ギリシア国王(在位 1947~64)。第2次世界大戦後,ギリシア国内で台頭した共産主義ゲリラ勢力の抑え込みに力を尽くした。ギリシア国王コンスタンティノス1世三男として生まれた。1917年に王位を追われた父とともにギリシアを離れた。父に代わって擁立された兄のアレクサンドロス1世が 1920年10月に死去した際,パウロスは国王就任を拒否したが,同年12月,復位した父とともに帰国した。しかし共和制を求める声が高まったため 1923年12月に再びギリシアを離れ,1935年に兄のゲオルギオス2世が復位するまで亡命生活を送った。1938年に従妹でブラウンシュバイク公の娘のフレデリキと結婚。パウロスは陸海空軍の将官の地位にあり,1940年の対イタリア戦争勃発時には陸軍参謀本部に名を連ねていた。1941年,占領下のギリシアを逃れ,エジプトのカイロ南アフリカに住んだ。第2次世界大戦後,再び帰国,ゲオルギオス2世の死去に伴い,1947年4月1日に王位についた。当時のギリシアはアメリカ合衆国から経済支援のみならず,共産主義勢力抑え込みのための政治的支援も受けていた。パウロスは,政治からは距離おき孤高の姿勢を保つと表明していたが,内政に介入することもしばしばあった。

パウロス[サモサタ]
Paulus Samosatenus

キリスト養子説的なモナルキアニズムを説いた3世紀の異端者。 260年頃のアンチオキア司教イエスは人であり,彼を通して神が言葉を語ることによって神的となったにすぎないと主張。 263~268年アンチオキアで3回の教会会議が開かれ,異端として司教を罷免されたが,パルミラ女王ゼノビアの庇護を受けて 272年まで実権を握っていた。三位一体を否定する彼の信奉者たちであるパウロス派は,ニカイア公会議の決定によれば,教会に受入れられるには再度洗礼が必要であるとされた。

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改訂新版 世界大百科事典 「パウロス」の意味・わかりやすい解説

パウロス(サモサタの)
Paulos

キリスト養子論を説いた3世紀のアンティオキア主教。生没年不詳。シリアのサモサタSamosata(現,トルコ領サムサト)出身。260年ころアンティオキア主教となったが,同地で開かれた2回ないし3回の主教会議の結果,268年に異端の疑いで罷免された。またそれ以前からパルミュラの女王ゼノビアに仕えていた。パウロスによれば,イエスは単なる人間であるが,神のデュナミスdynamis(霊の力)を受けて,ロゴスと合一し,神の養子となったとする。この考えをデュナミス的モナルキアニズム(モナルキアニズム)と呼ぶ。キリスト論からはアリウスの先行者といってもよい。パウロスの同調者はパウロ派(ビザンティン帝国のパウロ派とは別)と呼ばれ,その後も存続し,ニカエア公会議で弾劾されている。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

20世紀西洋人名事典 「パウロス」の解説

パウロス(1世)
Paul (Ⅰ)


1901 - 1964
ギリシア国籍。
元・ギリシャ国王。
1936年フレデリカ姫と結婚し、第二次大戦中には海軍司令官を務める。’41年ナチの占領によりクレタ島へ逃れ抵抗する。’46年帰国し、’47年ギリシャ国王に即位する。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

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