パドモア(読み)ぱどもあ(英語表記)George Padmore

日本大百科全書(ニッポニカ) 「パドモア」の意味・わかりやすい解説

パドモア
ぱどもあ
George Padmore
(1903―1959)

アフリカ解放運動の指導者。本名はMalcom Nourse。1903年西インド諸島のトリニダードで生まれ、アメリカで育った。フィスク大学で歴史学と政治学ハワード大学で法律学を修めた。早くから汎(はん)アフリカ運動に参加、彼がドイツで発行していた新聞『黒人労働者』の反ナチス的記事のため1933年逮捕された。終始エンクルマのガーナ政府の熱心な協力者として活躍、パン・アフリカニズムの理論家として、とくに英語を話すアフリカ諸国の若手ナショナリストに影響を与えた。主著は『ゴールド・コースト革命』(1953)、『パン・アフリカニズムかコミュニズムか』(1956)。

[柴田平三郎]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「パドモア」の意味・わかりやすい解説

パドモア
Padmore, George

[生]1902/1903. タカリグア
[没]1959.9.23. アクラ
1930年代後半から 50年代末期にかけての代表的な汎アフリカ主義者。本名 Malcolm Ivan Meredith Nurse。トリニダード出身のアフリカ系人。パンフィリアン高校を卒業し一時出版社に勤務。 24年渡米し,フィスク大学を経てニューヨーク大学,ハワード大学の法学院で法律学を学んだ。 27年アメリカ共産党に入党。 28年改名し,ハーレムの黒人向け党機関紙『ニグロ・チャンピオン』 (1929年『リベレーター』と改称) の編集者。 29年反帝国主義民族独立同盟 LAIの第2回会議に出席,以後主としてヨーロッパを舞台に共産主義運動と黒人運動の連結化のために活動。 30年第1回黒人労働者国際会議開催尽力。 34年6月コミンテルンから追放された前後から汎アフリカ主義への傾斜を強め,44年末の汎アフリカ連盟設立に貢献。以後も主としてロンドンにあって汎アフリカ運動に没頭,57年独立ガーナに移り,エンクルマの政治顧問として第1回アフリカ諸国会議 (58.4.) ,第1回全アフリカ人民会議 (58.12.) の開催に大きな役割を果した。

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