ヒラリークリントン(読み)ひらりーくりんとん

現代外国人名録2016 「ヒラリークリントン」の解説

ヒラリー クリントン
Hillary Clinton

職業・肩書
政治家 元米国国務長官,元米国上院議員(民主党)

国籍
米国

生年月日
1947年10月26日

出生地
イリノイ州シカゴ郊外

本名
クリントン,ヒラリー・ロダム〈Clinton,Hillary Rodham〉

旧名・旧姓
ロダム,ヒラリー〈Rodham,Hillary〉

学歴
ウェルズリー大学〔1969年〕卒,エール大学ロースクール〔1973年〕修了

学位
法務博士(エール大学)〔1973年〕

受賞
シュヴァイツァー・リーダーシップ賞〔1993年〕,グラミー賞(朗読・非音楽アルバム賞,第39回)〔1997年〕「村中みんなで」,WHOヘルス・フォーオール〔1998年〕,アラブ首長国連邦健康基金賞〔1998年〕

経歴
エール大学大学院時代、ビル・クリントンと出会い、卒業後の1975年に結婚。結婚後も自らの姓を名乗ることに固執したが、夫が州知事に出馬(’78年)した頃に“クリントン”を名のるようになる。弁護士としてはワシントンの非営利団体・児童保護基金を手始めに、’74年下院のニクソン大統領弾劾委員会で40人の弁護士(女性は2人)の一人として活躍。’77年アーカンソー州リトルロックのローズ法律事務所共同経営者となる。’78年夫がアーカンソー州知事に当選。’79年カーター大統領の指名により非営利団体の司法事業推進公社の理事を務める。’88年と’91年に“全米で最も優秀な弁護士100人”に名を連ねる。傍ら、アーカンソー大学で教壇にも立った。専門は子供の権利問題などで、多くの論文も執筆。’92年の大統領選では行動力あふれる大統領候補夫人として活躍し、’93年1月夫が第42代米国大統領に就任、ファーストレディとなる。クリントン政権では医療保険制度改革の特別部会座長も務め、“影の首席補佐官”といわれた。’94年夫の州知事時代に関係した金融機関にまつわる“ホワイトウォーター疑惑”が発覚、’96年1月大陪審から召喚された。2000年11月民主党からニューヨーク州の上院選に当選。2001年1月夫は任期満了で退任。2003年夫との半生を綴った回想録「リビング・ヒストリー」を出版。2006年11月上院選中間選挙で再選。2007年1月大統領選出馬を表明。当初は本命視されていたが、党内指名争いでバラク・オバマ相手に苦戦、その後撤退。11月オバマが大統領に当選。2009年1月オバマ政権で国務長官に就任。アフガニスタンパキスタンイラン北朝鮮との外交の円滑化を図った。2013年1月退任。2014年回顧録「ハード・チョイス(困難な選択)」を出版。2015年、2016年の米大統領選出馬を表明。米経済誌「フォーブス」の“世界で最もパワフルな女性たち100人”で、2004年と2010年5位、2011年、2015年2位に選ばれる。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

知恵蔵 「ヒラリークリントン」の解説

ヒラリー・クリントン

米国の政治家、弁護士。1947年10月26日、米国イリノイ州生まれ。米国上院議員、国務長官を歴任し、その圧倒的な知名度や資金力から、2015年4月現在、16年の米国大統領選における民主党の本命候補と見られている。米国の第42代大統領、ビル・クリントンの妻でもあり、ファーストレディーとしても活躍した。
幼少時代はスポーツに親しみ、学生のリーダー的存在だったという。マサチューセッツ州の名門女子大、ウェルズリー大学を卒業後、コネチカット州の名門大、イェール大学法科大学院に進学し、ビル・クリントンと出会った。在学中は、児童養護のための組織でも活動していた。
大学院修了後は、児童防衛基金で働き、米国下院の司法委員会によるニクソン大統領の弾劾調査団に、弁護士として参加した。その後、ビルが政治活動をしていたアーカンソー州に移り、1975年に結婚、80年に娘が生まれた。アーカンソー州では弁護士の活動を続けながら、ジミー・カーター大統領の任命により、法律扶助機構の理事を務めた。78年に夫ビルがアーカンソー州知事に当選、計12年間の州知事夫人時代には、州の教育水準委員会の委員長や子ども病院理事、児童防衛基金の理事を務めた。
92年、夫ビルが米国大統領に選出され、93年に就任してからは、2001年まで、ファーストレディーとして医療制度改革や養子縁組・里親制度の改善を始め子どもの支援、女性の権利向上のための活動などに取り組んだ。
00年、ファーストレディーとして初めて民主党から上院議員に選出され、01年に就任した。06年に再選し、07年に翌年の大統領選への出馬を表明したが、党内の予備選挙で撤退。大統領に当選したバラク・オバマの指名を受け、09年から13年まで国務長官を務めた。
国務長官時代はアジア外交を重視し、14年6月に出版された回顧録『HARD CHOICES(難しい選択)』では、国務長官として最初に日本を訪問し日米同盟強化に取り組んだことをアピール、中国については、関わり合いながら国際的なルールに従うよう求めていくことが大切と記している。そんな中、15年3月、国務長官在任中に公務に私用のメールアドレスを使っていたことが問題となり、国務省の要請を受けて5万5000ページ分のメールを提出し、事態の鎮静化を図った。
16年の大統領選への出馬については、長らく沈黙を保っていたが、15年4月、インターネット上のビデオメッセージで正式に立候補を表明、米国初の女性大統領を目指す決意を示した。民主党内では、バイデン副大統領らも候補に挙げられているが、15年4月時点で、世論調査では、ヒラリーが民主党支持者の約6割の支持を集め、最有力候補となっている。

(南 文枝 ライター/2015年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

知恵蔵mini 「ヒラリークリントン」の解説

ヒラリー・クリントン

米国の政治家、弁護士。1947年10月26日、米国イリノイ州生まれ。ウェズリー大学を卒業後、イェール大学法科大学院に進学。大学院修了後の75年にビル・クリントンと結婚し、その後、一女をもうける。弁護士として活動する一方、77年からはジミー・カーター大統領の任命により法律扶助機構の理事を務めた。夫ビルのアーカンソー州知事時代の83~92年には州知事夫人として、ビルが米国大統領を務めた93~2001年にはファーストレディーとして活躍。01年からは米国上院議員(民主党)を務め、07年に大統領職を目指して出馬したが、予備選挙で撤退。大統領に就任したバラク・オバマの指名を受け、09年から13年まで国務長官を務めた。14年6月現在、16年の米国大統領選挙における民主党の本命候補と目され、立候補決断が注目されている。

(2014-6-12)

出典 朝日新聞出版知恵蔵miniについて 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヒラリークリントン」の意味・わかりやすい解説

ヒラリー・クリントン
ひらりーくりんとん

クリントン

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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