ビシャ(読み)びしゃ(英語表記)Marie François Xavier Bichat

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ビシャ」の意味・わかりやすい解説

ビシャ
びしゃ
Marie François Xavier Bichat
(1771―1802)

フランスの解剖病理学者。フランス西部トアレットの貧しい医家に生まれる。リヨンで医学を学び、短い軍医生活ののちパリに出る(1794)。オテル・ディユの外科医ドソーP. J. Desault(1738―1795)の知遇を得、『外科雑誌』の編集に携わった。ドソーの死後、友人とともに医学競進協会を設立、さらに解剖学、生理学、外科学の私塾を開いた(1796)。1799年、オテル・ディユの医員に採用され、病身を押して研究にいそしんだが、30歳の若さで生涯を終えた。『諸膜論』(1799)、『生と死の生理学的研究』(1800)、『一般解剖学』(1801)、『記述解剖学概論』(1801~1803)などの著作がある。ビシャは構造の単位としての組織を発見し、物理・化学的性状や反応の特異性に基づいて21種の組織を分類した。モルガーニが病気の座を器官に求めたのに対して、ビシャは生理・病理担い手が組織であることを示した。

梶田 昭]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ビシャ」の意味・わかりやすい解説

ビシャ
Bichat, Marie-François-Xavier

[生]1771.11.11/14. ジュラ,トワレット
[没]1802.7.22. パリ
フランスの解剖学,生理学者。医家に生れ,1793年パリに遊学,外科医で解剖学者の P.ドゥソーの教えを受けた。 96年に医学競進協会を創立,解剖,生理,病理学の個人講座を始めた。 1800年にはオテル・デュー (市立病院) の医師となった。 01年から 02年にかけての数ヵ月間に 600体の解剖を行い,顕微鏡を用いないで人体組織を体系的に研究して,組織学の基礎づくりをした。また疾病の分類に病理所見を基準におく必要性を説き,その後の医学の発展に大きな影響を与えた。主著『諸膜論』 Traité des membranes (1799) ,『一般解剖学』 Anatomie générale (1801) ,『記述解剖学』 Anatomie descriptive (03) 。

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