現代外国人名録2016 「ビルブルーフォード」の解説
ビル ブルーフォード
Bill Bruford
- 職業・肩書
- ドラマー
- 国籍
- 英国
- 生年月日
- 1950年5月17日
- 出生地
- ロンドン
- グループ名
- 旧グループ名=イエス〈Yes〉, キング・クリムゾン〈King Crimson〉
- 経歴
- 日本では長くブラフォード、ブラッフォードと表記される。11歳からドラムを始め、学生時代にクラシック、ダンス・バンド、ジャズ・バンドを経験。1968年サヴォイ・ブラウンに加入してプロとしてのキャリアをスタートさせるが、3日で解雇。続いてイエスにドラマーとして参加し、’69年アルバム「イエス」でデビュー。ジャズの影響を前面に打ち出したドラミングでバンドを支え、特に’71年発表の「こわれもの」、’72年発表の「危機」はプログレッシブ・ロックの最高峰として絶賛された。同年イエスを脱退し、ロバート・フリップの誘いでキング・クリムゾンに移籍。ここではより即興性の高い演奏を見せ、参加作である’73年の「太陽と戦慄」や’74年「暗黒の世界」などでのプレイは高く評価された。同年「レッド」リリース後にキング・クリムゾンが解散すると、ナショナルヘルス、ゴング、ブランドX、ジェネシスなど多くのプログレッシブ・ロックグループを渡り歩き、’77年には初のソロアルバム「フィールズ・グッド・トゥ・ミー」を発表。’78年にはアラン・ホールズワース、エディ・ジョブソンやクリムゾン時代の同僚であったジョン・ウェットンとともにUKを結成し、アルバム「憂国の四士(UK)」をリリースするが、間もなくバンドから脱退して自身のバンドであるブルーフォードを結成。’81年キング・クリムゾンの再結成に参加。活動停止後はブリティシュ・ジャズに傾倒し、自身のプロジェクトであるアースワークスを率いて活躍。また元イエスのキーボード奏者パトリック・モラーツとのユニットでも活動した。’89年元イエスのメンバーたちとアンダーソン・ブルーフォード・ウェイクマン&ハウを結成した後、’91年には17年ぶりにイエスに復帰。その後、三たび再結成したキング・クリムゾンへの参加を経て、2002年頃からは若手ミュージシャンらとともにアースワークスを再編し、よりアコースティックなジャズを演奏する。2006年アースワークスのユニットによるアルバム「アースワークス・アンダーグラウンド・オーケストラ」をリリース。2009年ライブ活動からの引退を表明。「ビル・ブルーフォード自伝」がある。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報