日本大百科全書(ニッポニカ) 「ピストン堀口」の意味・わかりやすい解説
ピストン堀口
ぴすとんほりぐち
(1914―1950)
プロボクサー。本名堀口恒男(つねお)。栃木県生まれ。恩師渡辺勇次郎と同じ県立真岡(もおか)中学に学び、1932年(昭和7)早稲田(わせだ)大学専門部に入学、上京して「日本拳闘倶楽部(けんとうくらぶ)」に入門。翌33年の日仏拳闘戦の日本代表決定戦で同門の先輩中村金雄をテクニカル・ノックアウトして注目され、同年8月、3万人を集めた早大・戸塚球場でヨーロッパ・バンタム級チャンピオンのエミール・プラドネル(フランス)と引き分けて一躍有名になった。休むことを知らぬピストン戦法で知られる。戦績は176戦138勝(うち82KO)24敗14引分け。なお試合数は日本最多記録であり、47連勝の日本記録とともにいまだに破られず、「拳聖」とうたわれた。昭和25年10月24日、神奈川県馬入川鉄橋近くで列車にはねられて死亡。
[石川 輝]