ピッチンニ(その他表記)Niccolò Piccinni

改訂新版 世界大百科事典 「ピッチンニ」の意味・わかりやすい解説

ピッチンニ
Niccolò Piccinni
生没年:1728-1800

イタリアオペラ・ブッファ作曲家。ナポリローマなどで活躍した後,76年パリに移り住む。パリの音楽界を二分したいわゆる〈グルック=ピッチンニ紛争〉では,グルックの率いるフランス派に対して,イタリア派を代表してグルックと同台本オペラ《タウリスのイフィジェニ》(1781)を作曲したが劣勢であった。美しい旋律を身上とする多数のフランス語とイタリア語のオペラのほかに,オラトリオ交響曲教会音楽がある。代表オペラ作品には《素直な娘》(1760),《ロラン》(1778),《ディドン》(1783)がある。
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関連語 岸本

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ピッチンニ」の意味・わかりやすい解説

ピッチンニ
ぴっちんに
Niccolò Piccinni (Piccini)
(1728―1800)

イタリアのオペラ作曲家。ナポリのサントノフリオ音楽院でレーオ、F・ドゥランテに師事し、オペラ・ブッファ『チェッキーナ』(1760)で空前の大成功を収め、後期ナポリ楽派の第一人者地位を確立した。この作品の入念なフィナーレ構成法はモーツァルトをはじめとする後進に多大の影響を与えた。1776年からは招かれてパリに住み、グルックのオペラをめぐっておきていたいわゆる「グルック‐ピッチンニ論争」におけるイタリア派の旗手とされ、同じ台本による『トーリドのイフィジェニー』(1781)を競作するなどした。フランス革命でイタリアに帰ったが、98年ふたたびパリに戻り同地で没した。

[大久保一]

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