ピョートルコズロフ(その他表記)Pyotr Kuzmich Kozlov

20世紀西洋人名事典 「ピョートルコズロフ」の解説

ピョートル コズロフ
Pyotr Kuzmich Kozlov


1863 - 1935
ソ連(ロシア)の中央アジア探検家。
スモレンスク県生まれ。
ブジェヴァルスキーの死後ロシア地理学会中央アジア探検隊の指揮者となり、1907年〜09年の第2回の蒙古チベット探検の際には西夏時代の廃都カラ・ホトを発見し、西夏文字の教文紙幣仏像仏画などを収集した。’24年には北蒙古のノイン・ウラ王族の墓を発見、いずれも古代北方ユーラシア民族の文化を解明するのに貴重な資料である。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「ピョートルコズロフ」の解説

ピョートル コズロフ

生年月日:1863年10月3日
ソ連の軍人,探検家
1935年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

[名](スル)二つ以上のものが並び立つこと。「立候補者が―する」「―政権」[類語]両立・併存・同居・共存・並立・鼎立ていりつ...

連立の用語解説を読む