ノインウラ(その他表記)Noin Ula

改訂新版 世界大百科事典 「ノインウラ」の意味・わかりやすい解説

ノイン・ウラ
Noin Ula

モンゴルウランバートル北方約100kmのノイン・ウラ山中にある匈奴墓。1924,25年にソ連コズロフ探検隊が調査し,その後モンゴルの学者による調査も行われている。低い墳丘をもつ墓が200基余り知られており,内部は木槨室と木棺からなる。副葬品には,土器,木器,漆器,銅容器,玉器,細金細工,鏡のほか,衣類(冠帽,上衣,下衣),絹製品(錦,綾,羅,刺繡),馬具,車馬具などがある。このうち,北方式青銅容器や動物闘争文のある毛織物などは匈奴本来のものであり,絹織物や車馬具は中国から贈られたものである。またパルティアアナトリア,バクトリア産の毛織物も発見され,交易の盛んであったことを示している。なお,漆器の耳杯に前漢の建平5年(前2年)の年号のある銘文をもつものがあり,この古墓群は前漢末から後漢初めにつくられたと考えられる。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ノインウラ」の意味・わかりやすい解説

ノイン・ウラ
のいんうら
Noin-ūla

モンゴル国の首都ウランバートル北方100キロメートルにある、匈奴(きょうど)の王族・貴族の古墳群のある山。212基の古墳中10基が、コズロフを隊長とするソ連の調査団によって発掘された(1924~25)。墳丘は低いが、方形の主丘に長い前方部が連なり、その主丘の下に、中国漢代の墳墓の形式と似た木槨(もっかく)室が構築されている。棺の下に敷かれた毛氈(もうせん)や壁飾りの刺しゅうにスキタイ系文化と西方ペルシア系文化の特徴がみられる。副葬品として埋められた各種の容器、装身具、玉器、馬具、車蓋(しゃがい)類は、中国製が大部分を占め、前漢の建平5年(前2)の銘文をもつ漆器もある。織物は中国の絹布がもっとも多く、それには平絹、錦(にしき)、紗(しゃ)、羅などあらゆる種類が含まれている。これらによって、西暦紀元前後の匈奴支配層が、匈奴自身のスキタイ系文化を発達させるとともに、中国、西方文化の影響を強く受けていたことが明らかになった。

[護 雅夫]

『梅原末治著『蒙古ノイン・ウラ発見の遺物』(1960・東洋文庫)』

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百科事典マイペディア 「ノインウラ」の意味・わかりやすい解説

ノイン・ウラ

モンゴル,ウランバートルとキャフタとの中間の山にある匈奴(きょうど)の古墳群。1924年―1925年コズロフ探検隊が王墓を発掘調査。漢代の絹,鏡,漆器のほか,ペルシア風の刺繍(ししゅう)や,スキタイ文化風の動物意匠の飾金具などが発見され,紀元前後の東西交流の研究上重要な遺跡の一つ。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ノインウラ」の解説

ノイン・ウラ
Noin-ūla

ノヨン・オールともいう。匈奴(きょうど)の王族の古墳群(前1~後1世紀)。ウラーンバートルとキャフタとの中間の山中に位置する。ソ連のコズロフ探検隊が1924年から発掘,調査。絹布,漆器,鏡など漢の製品が多いが,サルマタイやイラン美術の影響もみられる。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ノインウラ」の解説

ノイン−ウラ
Noin Ula

モンゴル,オルホン川支流のハラ川付近にある匈奴の墓跡
1924年ソ連のコズロフ探検隊が匈奴 (きようど) の王族の古墳を発掘。遺物により,匈奴の貴族間に漢やパルティアなど西域の文化が波及していたことがわかった。

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