改訂新版 世界大百科事典 「ピレス」の意味・わかりやすい解説
ピレス
Tomé Pires
生没年:1466ころ-1524ころ
ポルトガルから最初に中国に派遣された使節。国王付き薬剤師の息子としてリスボンに生まれ,彼自身もアフォンソ王子(1475-91)付きの薬剤師であった。1511年インドに赴き,カナノールの商館で勤務したのち,12年にマラッカ商館の書記兼会計係および香料の管理人となった。マラッカ滞在中に見聞に基づいて《東方諸国記》(邦訳あり)を執筆したが,これは16世紀初頭の東南アジアについての最も詳細な記述で,その資料的価値は高い。15年インドのコーチンに戻ったが,中国への使節に任命され,16年フェルナン・ペレス・デ・アンドラーデの船隊で出発した。中国に到着したのは17年8月であるが,広州港外屯門澳の泊地にとどめられたまま同年10月まで上陸を許されず,その後も広州に抑留されたままであった。20年になってようやく一行は北京への旅行を許されたが,中国側と紛争を起こし,21年広州へ引き揚げた。一行は広州で捕らえられてしまい,ピレスは24年まで生存していたことは確実だが,その後の消息は不明。釈放されて中国人女性と結婚し,娘を得て40年ころ死去したという説もあるが,確認できない。
執筆者:生田 滋
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報