翻訳|Malacca
マレーシア本土、マレー半島南西部の港湾都市。ムラカMelakaともいう。マラッカ州の州都で、人口約12万6100(2001推計)。マラッカ川河口に位置し、マラッカ海峡最狭部を扼(やく)する戦略的要地である。15世紀初頭に中国の明(みん)の支援を受けたマラッカ王国が貿易港として発展させ、以後ポルトガル、オランダの支配を経て、1824年にイギリス領となった。ゴム、コプラなどを輸出してきたかつての国際貿易の拠点としての機能は、すでにシンガポールなどに奪われたが、市内にはポルトガルやオランダの城塞(じょうさい)跡、歴史博物館、ブキットチナの壮大な中国人墓地など多くの史跡が残っている。近年は近郊で米、ゴム、ココヤシなどの栽培が盛んに行われている。歴史的経過から中国系住民が多い。
[別技篤彦]
14世紀の末、もしくは15世紀の初め、スマトラのパレンバン王国の王族であったと思われるパラメシュバラが、ここに王国を建てたことに始まる。明(みん)の鄭和(ていわ)の西征(1405~30)が行われた際、同地はインド、西アジア方面への航海の基地となったが、パラメシュバラはこの機会を利用して王国の基礎を固めた。このころ同国は、シャムの属国であったが、彼は、中国の朝貢国となることでシャムの支配を脱した。マラッカは国際貿易港となり、イスラム商人も多数来航した。1440年代にシャムの攻撃を受け、これを撃退したときにイスラム教が当地に定着した。
マラッカは東南アジアと南アジアを結ぶ国際貿易の中心地として繁栄し、また東南アジアにおけるイスラム教伝播(でんぱ)の基地となったが、1511年ポルトガルに占領され、王国はジョホールに移った。アチェーとバンタムの勃興(ぼっこう)によってポルトガル時代のマラッカは、国際貿易港としての地位を失い、ゴアからマカオ、モルッカ諸島に向かうポルトガル船隊の寄港地となった。1641年にはオランダ東インド会社に占領され、以後は地方的な貿易港となった。1785年にイギリス東インド会社に占領され、イギリスの海峡植民地の一部となったが、シンガポール、ペナンの影に隠れた存在であった。1957年にマラヤ連邦が完全独立した際にはその一州となった。
[生田 滋]
『鶴見良行著『マラッカ物語』(1981・時事通信社)』
マレーシア,マレー半島南西岸にある古い港町。ムラカMelakaともいう。同名州の州都で人口29万6000(1991)。15世紀初めに明(中国)の支援を受けたムラカ王国が貿易港として発展させた。1511年からポルトガルの,1641年からオランダの支配を受け,1824年にイギリス領となった。今日人口の70%以上が福建人を多数派とする華人で占められるが,マレー化した中国系,ポルトガル系住民が多い町である。市内にはマレー半島最古のモスク,豪華な建築の中国式寺院,ポルトガル領時代の天主堂跡,オランダ領時代の市庁舎や時計台など,マレーシアでは珍しい多様な歴史的建築物があり,観光名所となっている。しかしかつては国際貿易の拠点であったマラッカ河口の港は,ペナン,シンガポール両港の発展と,土砂の堆積による港湾機能の低下,後背地の経済停滞によって衰退した。幹線道路から外れた位置にあり,新しい産業投資活動が活発ではないため,人口は減少傾向を示しているが,それだけに古い町並みが比較的よく残り,郊外の農村にも伝統的で色どり豊かな高床式のマラッカ民家が数多く見られる。近郊の農業は大規模なプランテーション経営より,小農の米,ゴム,ココヤシ,果物栽培に特色がある。
執筆者:太田 勇
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マレー半島西岸のマレーシアの都市。マレー語ではムラカ(Melaka)。1400年頃マラッカ王国の王都および港市として形成され,15世紀中頃東南アジアの交易とイスラームの中心地に発展した。1511年にポルトガルが占領し(~1641年),それ以降はオランダ(1641~1824年),イギリス(1824~1946年)の植民地となった。
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…1540年代より約1世紀にわたり,当時は南蛮人と称されたポルトガル,スペイン両国人の渡航によって日本商人等との間に展開された商取引。1543年(天文12)ポルトガル人の種子島漂着を契機にして,ポルトガル商船および彼らのジャンク船がリャンポー(寧波(ニンポー)),マラッカ等から西南九州の鹿児島,山川,坊津,府内,平戸等の各港に来航した。ポルトガル人は57年(弘治3)中国人からマカオ居住の許可を得,同地をゴア,マラッカと日本とを結ぶ定期航路の中継地および貿易拠点として発展させ,さらに78年(天正6)には広東市場での交易権を得て日本貿易拡大のための足固めをした。…
※「マラッカ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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