現代外国人名録2016 「フィリップトルシエ」の解説
フィリップ トルシエ
Philippe Troussier
- 職業・肩書
- サッカー監督(杭州緑城) 元サッカー・ナイジェリア・南アフリカ・日本・カタール代表監督
- 国籍
- フランス
- 生年月日
- 1955年3月21日
- 出生地
- パリ
- 受賞
- アジアサッカー連盟年間最優秀監督賞〔2001年〕
- 経歴
- 6人兄弟の長男として精肉店の職人の家に生まれる。11歳の時パリ交通公団のチーム・USメトロに入団。1976〜83年ストッパーとしてフランスリーグの4つのクラブで活躍。’84年指導者に転向、フランス国内の3部リーグで監督を務めた後、’88年アフリカへ渡り、コートジボワールのクラブチームを指揮。’93年コートジボワール代表監督、’94年南アフリカ、’95〜97年モロッコのトップクラブ監督を歴任。’97年ナイジェリア代表監督となり、W杯フランス大会アフリカ予選を勝ち抜く。その後ブルキナファソ代表監督を経て、’98年南アフリカ代表監督に就任し、W杯フランス大会に出場。アフリカ各国では、その熱血指導ぶりから“白い呪術師”の異名をとった。同年日本代表監督に就任。’99年4月世界ユース選手権でU-20代表を準優勝に導く。2000年9月シドニー五輪では初の決勝トーナメント進出、10月アジア杯ではA代表を優勝に導く。2001年6月コンフェデレーションズ・カップ準優勝、7月キリンカップ2連覇。同年4月日本代表監督として初めてアジアサッカー連盟(AFC)の年間最優秀監督賞を受賞。2002年6月W杯日韓共催大会で日本代表を初の決勝トーナメント進出に導く。戦術的には守備にこだわり、“フラットスリー”を採用。独自の方法論を貫き通し、日本サッカー協会やメディアとしばしば対立した。大会後、退任。2003〜2004年カタール代表監督兼テクニカルディレクター。2004年11月フランスリーグのマルセイユ監督に就任するが、2005年6月成績不振で解任される。同年10月モロッコ代表監督に就任するが、12月解任される。2008年1月JFLのFC琉球の総監督に就任。2011年2月中国1部リーグの深圳紅鑚監督に就任。FC琉球スーパーバイザーも兼務。2014年8月チュニジアリーグのスファクシアン監督に就任したが、同年9月退任、12月中国1部の杭州緑城監督となる。著書に「トルシエ革命」がある。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報