日本大百科全書(ニッポニカ) 「フィルドウスィー」の意味・わかりやすい解説
フィルドウスィー
ふぃるどうすぃー
Abū al-Qāsim Firdausī
(934―1025)
ペルシアの詩人。イランの東部ホラサーン地方のトゥースで地主の家に生まれる。イラン最大の民族詩人と評される。10世紀にサーマーン朝の民族文化保護振興政策によりイラン民族意識が高まり、民族固有の神話、伝承、歴史を編纂(へんさん)する機運が高まると、フィルドウスィーはこの時代思潮に刺激され、980年ごろアブー・マンスール編『王書』をおもな資料として作詩を始め、30年余にわたり作詩に没頭。1010年ついにムタカーリブ詩形による約6万句からなる民族叙事詩『シャー・ナーメ』(王書)を完成し、ガズナ朝のスルタン、マフムードに捧(ささ)げた。しかし期待した恩賞は受けられず、郷里でわびしい晩年を過ごし没した。「イラン最大の文化遺産」「イラン民族英雄叙事詩」とも目される『シャー・ナーメ』は人類の祖から始まり、アラブ軍に滅ぼされたササン朝最後の皇帝に至る四王朝50人の王者の歴史から構成され、神話・英雄・歴史時代からなる。とくに神話時代と英雄時代が圧巻で、歴史書としてよりは文学書として価値が高い。この作品には「ロスタムとソホラーブ物語」「ザールとルーダーベ物語」「スィヤーウシュ物語」など多くの悲劇やロマンスが織り込まれ、その底流をなす思想はゾロアスター教的二元論と宿命論である。
[黒柳恒男]
『黒柳恒男訳『ペルシアの神話』(1980・泰流社)』