ドイツ生まれのアメリカのロケット工学者。プロイセンのポーゼン地方ウィルジッツ(現、ポーランド)に生まれる。父は男爵、州議員であった。少年時代、数学を得意とし、天文学にはとくに興味を抱き、チューリヒの工科大学、ベルリン大学に学んだ。1930年ごろドイツではロケット研究が盛んであり、彼もその実験に熱中した。20歳のとき陸軍兵器局ロケット班に所属し、ドルンベルガーW. Dornberger(1895―1980)とのコンビで研究を続けた。画期的なロケットV2号は1942年10月3日、試射に成功。2年後の1944年9月7日にはパリに向けて、その翌日からロンドンに向けて発射され始めた。
第二次世界大戦後、V2号の仲間150人余りとともにアメリカに移り、初めは陸軍に配属されて、レッドストーンやジュピターなどのロケットを製作、ついで航空宇宙局(NASA(ナサ))に移って、「月へのロケット」であるサターンの開発に関与し、1969年7月21日のアポロ宇宙船による人類最初の月着陸の実現に大きく貢献した。1970年、それまでのマーシャル宇宙飛行センター所長からNASA局次長に昇進したが、1972年には退職し、民間会社フェアチャイルドの技師長を務めた。
[新羅一郎]
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