チューリヒ(読み)ちゅーりひ(英語表記)Zürich

日本大百科全書(ニッポニカ) 「チューリヒ」の意味・わかりやすい解説

チューリヒ
ちゅーりひ
Zürich

スイス最大の都市で、チューリヒ州の州都人口34万0873(2001)、近郊の人口集中地区を含めると94万3400に達する(1999)。チューリヒ湖から流出するリマト川の谷にその中心部がある。市の発展は湖尻(こじり)を囲む一連の堆石(たいせき)(モレーン)の丘陵の配置と関連が深い。すでにローマ時代に、現在の市庁舎に近いリンデンホーフにリマト川をまたぐ橋の防御のために砦(とりで)がつくられたが、このリンデンホーフも堆石の丘である。現在の都市の形態は13世紀に築造された城壁の位置の影響を受けており、かつての堀跡がヒルシェングラーベン、ザイラーグラーベン、バーンホーフ通りなどの街路である。19世紀の前半には、都市発展の障害であったその外側の新しい最後の城壁も取り払われ、その跡はシャンツェングラーベン通りとして残っている。このときからチューリヒは閉じた都市から開けた近代的な都市へと変貌(へんぼう)し、1893年11村、1934年8村の二度にわたる周辺の町村編入により大都市となった。

 この100年間にみられる旧市域内の建造物の変化には著しいものがある。住宅が商店、会社に場所を譲り、都心部の昼間人口は激減した。しかし旧市域には多くの歴史的建造物があり、グロースミュンスター寺院、フラウミュンスター寺院、ザンクト・ペーター教会などのほか、リマト川の岸にはいくつものツンフト(同職ギルド)会館があり、有史前から現代に至る歴史・文化遺産を集めたスイス国立博物館も一見の価値がある。チューリヒはスイスの首都ではないが(首都はベルン)、商工業の中心をなし、国際的にも金融・貿易・観光の中心的役割を果たしている。スイスの大銀行のほか、各国の銀行の支店が集まり、保険会社も多い。また、旧市域には繊維工業が立地し、副都心のエーリコンを中心とする第二の工業地区も形成されている。チューリヒ大学と連邦立理工科大学があり、3万余の学生が学ぶ。

 チューリヒ州はチューリヒとウィンタートゥール両市を中心としたスイスの商工業の中核地域をなし、面積1729平方キロメートル、人口122万8600(2001)。州人口の約28%が州都であるチューリヒに居住する。

[前島郁雄]

歴史

929年に初めてキーウィタース(都市)という呼称が史料上に現れる。11世紀初頭には重要都市としてしばしば帝国議会も開催された。1218年帝国都市となり、市参事会の存在も1220年以降明確となる。1336年ツンフト闘争に勝利して、手工業者小商人も市政参加が認められた。このツンフト体制を維持するために、1351年にスイス誓約同盟に参加し、またたくまにスイスの指導的地位を獲得した。それはチューリヒが広大な農村地域を支配し、強力な都市国家を形成していたからである。16世紀にはツウィングリによる宗教改革が行われ、スイスと西南ドイツ一帯の宗教的中心地になった。その後、手に技術をもった新教派の避難民(17世紀のユグノーを含む)を多数受け入れ、織物業を中心に経済的に発展した。この経済発展にのった大商人による門閥都市支配は、18世紀末のフランス革命の影響で民主化されるまで続いた。現在も金融業を中心とするスイス経済の中枢都市となっているのは、こうした経済発展の伝統を引くものである。

[森田安一]


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「チューリヒ」の意味・わかりやすい解説

チューリヒ
Zürich

スイス北東部,チューリヒ州の州都。スイス最大の都市。チューリヒ湖北西端に位置し,フランス-東ヨーロッパ,ドイツ-イタリアを結ぶ交易ルートの交差点として発達。1351年スイス同盟に加入,1400年に自由都市の権利を獲得。以来多方面の職人,技術者を集めてその勢力を伸張した。1519年スイスにおける宗教改革の発祥地となり,18~19世紀にはドイツ語文化圏の中心地としてゴットフリートケラー,ヨハン・ハインリヒ・ペスタロッチなど多くの作家や学者などを生んだ。1833年チューリヒ大学創設,1898年スイス国民博物館開設。スイスの交通,産業,文化の中心として首都ベルンと並ぶ重要都市で,世界的な商業,金融の中心地。またヨーロッパ有数の風光明媚な都市としても著名。チューリヒ旧市内には,ロマネスク様式のグロスミュンスター大聖堂(1090~1180頃および 1225~1300頃),フラウミュンスター聖堂(13~14世紀),ザンクト・ペーター聖堂(13世紀)など,歴史的建造物が多い。大都市圏を形成し,各種精密機器,電子,製鉄,製紙,印刷,織物などの工場が立地。住民はドイツ系で,約 3分の1がプロテスタント。人口 34万7517(2006推計)。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報