フュシス
physis
ラテン語ではnaturaと訳され,したがって現代ヨーロッパ語でもnature,Naturなどと訳されるギリシア語。ギリシア哲学におけるこの語の最古の用例はヘラクレイトスの断片に見ることができるが,それによれば,〈もの〉の〈本来あるがままの姿〉〈真実あるがまま〉を意味する。したがって本性,本質などと訳されたりもするが,ギリシア哲学全体において示されるこの語の意味の複雑さを考えると,〈自然〉が最も適切な訳語である。たとえば,森鷗外も歴史の真実に迫る手法を歴史の〈ありのままを書く〉とか歴史の〈自然〉を尊重するといっており,〈ものの自然〉といういい方は日本語として不自然ではない。ギリシア哲学の用法ではこの語に〈生成〉〈なりゆく過程〉という意味があることもたしかだが,〈なる〉もまた,もののあるがままの姿であり,ものの自然である。ソクラテス以前の哲学者たちのほとんどが《ペリ・フュセオス(自然について)》と題する書物を書いたといわれるが,彼らは地・水・火・風(四大)や原子などに,ものの究極のあるがままを発見し,それらの原理的な素材からいかにして具体的なものが〈なって〉きたかを探究したのである。現代ヨーロッパ語,例えば英語のphysics,physician,physiognomyその他にこのギリシア語はそのまま姿を見せているが,物理学がひろくもののあるがままの真実に迫る学であることはいうまでもないし,医術や観相術もそれぞれの真実に迫るものなのである。
→自然
執筆者:斎藤 忍随
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内のフュシスの言及
【自然】より
…その後〈天地〉や〈万物〉に対して,この〈自然〉という言葉が直ちにとって代わるということはなかったが,しかし徐々に,今日の自然科学がとり扱うような外界の対象一般に対して〈自然〉という言葉が用いられるようになった。 ところでそもそも英語のnatureやオランダ語のnatuurのもとはといえば,それはラテン語のナトゥラnaturaで,このナトゥラはギリシア語の[フュシス]physisの訳である。フュシスは〈生まれる,生じるphyomai〉という動詞から派生した,おのずと生じたもの一般を意味し,人工の規則や慣習であるノモスnomosに対する。…
【自然】より
…その後〈天地〉や〈万物〉に対して,この〈自然〉という言葉が直ちにとって代わるということはなかったが,しかし徐々に,今日の自然科学がとり扱うような外界の対象一般に対して〈自然〉という言葉が用いられるようになった。 ところでそもそも英語のnatureやオランダ語のnatuurのもとはといえば,それはラテン語のナトゥラnaturaで,このナトゥラはギリシア語の[フュシス]physisの訳である。フュシスは〈生まれる,生じるphyomai〉という動詞から派生した,おのずと生じたもの一般を意味し,人工の規則や慣習であるノモスnomosに対する。…
【社会科学】より
…この定義で中枢的位置を占めているものは〈社会〉という語および〈科学〉という語の二つであるから,以下これらについて注釈を加えよう。 〈自然〉対〈社会〉という対概念は,古代ギリシアの哲学者によるフュシスphysis対ノモスnomosという対概念以来のもので,フュシスは人間とは無関係に存在しその法則に人間が介入しえない世界という意味での自然を意味し,これに対してノモスは習慣や法律や制度など人間が人為的につくったものを意味した。かくして,宇宙,地球,天然資源,植物,動物(人間自身を含む)等々は自然であり,道徳,宗教,芸術,法,政治,経済,教育等々は社会である。…
【西洋哲学】より
…ここでは,西洋のこの哲学知の基本的概念装置を検討し,この知の本質的性格と,それを原理に形成された西洋文化の特質を洗い出してみたい。
【自然(フュシス)と形而上学(メタフュシカ)】
ギリシアの古典時代にソクラテスやプラトン,アリストテレスらの思想のなかで生まれ形をととのえたこの〈哲学〉と呼ばれる知は,当時のギリシア人の一般的なものの考え方に対していかなる関係にあったのか。それを昇華し純化するものであったのか,それともそれとはまったく異質のものであったのか。…
【もの(物)】より
…(1)一般に原始社会では,動物や樹木はもとより山や岩のような無機物,さらには丹精をこめて造りあげられたり使い慣らされたりした道具など製作物にさえ霊魂が宿ると考える[アニミズム]的思考が支配的である。古代の日本人が万物を〈葦牙(あしかび)の萌(も)え騰(あが)るが如く成る〉ものと見たり,古代ギリシア人が万物をその内蔵する原理によっておのずから生成(フュエスタイphyestai)する〈自然(フュシスphysis)〉とみたのも,そのなごりであろう。こうしたアニミズムは文明人の思考のうちにも強く痕跡を残している。…
※「フュシス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」