改訂新版 世界大百科事典 「フランコフラマン派」の意味・わかりやすい解説
フランコ・フラマン派 (フランコフラマンは)
École franco-flammande[フランス]
Arts franco-flammands[フランス]
14世紀後半から15世紀初頭にかけて,フランス王侯の宮廷に仕え活動したネーデルラント出身の彫刻家・画家たち。〈フランコ・フラマン〉とは〈フランス・フランドルの〉の意であるが,実際にはフランドルのみならずオランダ(ネーデルラント北部)から北フランスにかけての広い地域から,フランス王やブルゴーニュ公,ベリー公らのもとに赴いているが,19世紀末以来,この名称が便宜的に用いられている。彫刻の分野では,シャルル5世,ベリー公に仕えたボーヌブーA.Beauneveu,ジャン・ド・リエージュJean de Liège,ベリー公の墓碑を制作したジャン・ド・カンブレJean de Cambrai,ブルゴーニュ公によるシャンモール(ディジョン郊外)の修道院造営事業に参加したジャン・ド・マルビルJean de Marville,C.スリューテルなどが有名で,いずれも,王侯の墓碑肖像彫刻に典型的に示されているように,モニュメンタルな様式感を失うことなく写実的表現を深化させている点が特徴的である。
絵画の場合は,シャルル5世治下に活動したブリュージュ出身のバンドルJ.Bandolの例もあるが,多くはおくれて1380年以降フランスに来て国際ゴシック様式の担い手となった画家たちを指す。
→国際ゴシック様式
執筆者:冨永 良子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報