ネーデルラント出身のゴシックの彫刻家。生地は,一説にはハールレムともいわれるが,修業時代は不明。1379年ころブリュッセルの旧市庁舎で預言者像やコンソール(持送り)の制作に参加。85年ディジョンでブルゴーニュ公フィリップ2世(豪勇公)に仕え,89年彫刻家ジャン・ド・マルビルJeande Marvilleの死後,その後継者となる。ディジョン郊外,シャンモールChampmolのカルトゥジア会修道院教会正面扉口に豪勇公夫妻と守護聖人の群像(1391-93),同教会にキリストの大磔刑像台座で《モーセの井戸》と呼称される6預言者群像(1395-1404)などを制作。豪勇公の墓廟は,スリューテルの死によって甥クラウス・ド・ウェルフェClaus de Werve(?-1439)らによって完成した。彼は同時代の国際ゴシック様式に決別し,人物に人間味あふれた個性表現と生命力を,衣文にダイナミックな量感をそれぞれ与え,彫刻に新しい写実主義をもたらした。その力強い人体彫刻は15世紀フランドルの画家たちにも影響を及ぼした。
執筆者:森 洋子
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フランスのディジョンで活躍したネーデルラントの彫刻家。ハーレムの出身と推定され、1380年ごろブリュッセルの石工組合のリストに初めてその名がみえる。85年3月1日以降ディジョンでブルゴーニュ公フィリップ2世(剛勇王)に仕え、その宮廷彫刻家となって同地に没した。代表作には、王家の墓所として建立されたシャンモールのカルトジオ会修道院における一連の制作があるが、なかでも中庭にある「モーセの井戸」(1395~1402)は、ゴルゴタの丘の生命の泉の理念をもつ表現として名高い。15世紀の新様式を先取する彼の作品は、フランス、ネーデルラント、フランドルの後期ゴシック彫刻の進展に多大な影響を与えた。
[野村太郎]
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… ネーデルラントはブルゴーニュ公国時代に一大発展を遂げて経済的・文化的隆盛を極めるが,北部は後進的な地位にとどまっていたため,優れた芸術家はしばしば国外に活躍の場を求めた。ハールレムが生んだオランダ最大の彫刻家C.スリューテルは国際ゴシック様式にくみせず堂々たる量感に富んだ石彫像を制作して新たな写実主義への道を開いたが,もっぱらフランスのディジョンで活動したため出身地にはほとんど影響を残していない。絵画においてもミニアチュール画家としてフランスの宮廷で活躍したマルーエルJan Malouel(?‐1415)とランブール兄弟,ルーバンで市の画家を務めたバウツなどは,北部の出身であるにもかかわらず,通常はそれぞれフランスおよびフランドル美術史の中に位置づけられている。…
…13世紀の半ばからすでに写実主義の進行は古典主義を破り,14世紀は個性化を進めた肖像ないし肖像的作例と優美なマンネリズムの彫像が現れている。ネーデルラント出身のスリューテルはディジョンのブルゴーニュ公のもとで制作したが,力強い写実主義をもって,これまでの優美なマンネリズムを打破し,性格的な劇的彫像を実現し,建築と独立した15世紀彫刻に決定的方向をあたえた。 イギリスの教会堂建築も多く宗教戦争によって破壊されたが,正面や内陣を彫像群で飾り,ことに14世紀の内陣や墓廟にゆたかな装飾を施している。…
…ディジョンが芸術活動の一大中心地となるのは,14世紀後半から15世紀にかけてのバロア家ブルゴーニュ公4代の時代である。優美な装飾性と写実性を交えた国際ゴシック様式を代表する芸術家が輩出したが,14世紀末にネーデルラント出身の彫刻家C.スリューテルがブルゴーニュ公に仕え,力強い造形性とあふれる生命感により,この流行様式を凌駕(りようが)する造形を生みだした。彼は1389年に同市のアトリエの長となり,フィリップ2世により歴代君主の廟墓として郊外のシャンモールChampmolに建立されたカルトゥジア会修道院の扉口,同中庭にある〈モーセの井戸〉(1405)などの彫刻を製作した。…
※「スリューテル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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