フリーシネマ(その他表記)Free Cinema

改訂新版 世界大百科事典 「フリーシネマ」の意味・わかりやすい解説

フリー・シネマ
Free Cinema

1956年にリンゼー・アンダーソンLindsay Anderson(1923-94),カレル・ライスKarel Reisz(1926-2002),トニー・リチャードソンTony Richardson(1928-91)によって始められたイギリスのドキュメンタリー映画運動。彼らのつくった短編記録映画を,当時カレル・ライスが番組編成係をしていたナショナル・フィルム・シアターで特集上映した際に,アンダーソンがその番組を〈フリー・シネマ〉と銘打ったのがこの名称と運動の始まりである。この上映会は,1959年まで6回にわたって行われ,短編ドキュメンタリーのほかにフランスの〈ヌーベル・バーグ〉の作品,〈ニューヨーク派〉〈ポーランド派〉の作品など,イギリスの商業ルートで輸入されない作品を紹介した。また同時に,彼らは〈われわれの姿勢を貫くものは,自由,民衆の重要性,そして日常のもつ意味を信じることにある〉というマニフェストを掲げて実作活動を行い,そこからアンダーソンの《ロンドン夜明け前》(1957),カレル・ライスの《ランベスの少年たち》(1959)などが生まれた。やがて彼らは長編劇映画の監督となるが,労働者階級の若者の日常に目を向けるドキュメンタリストとしての姿勢はそのままひきつがれて,演劇界における〈怒れる若者たち〉(アングリー・ヤング・メン)の世代の作家たちと結びついてイギリス映画の新しい波を形成した。リチャードソンが製作に当たり,カレル・ライスが監督したアラン・シリトーAlan Sillitoe(1928-2010)原作の《土曜の夜と日曜の朝》(1960),アラン・シリトー原作,トニー・リチャードソン製作・監督の《長距離ランナーの孤独》(1962),カレル・ライスが製作,アンダーソンが監督した《孤独の報酬》(1963)などがその代表作とみなされる。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のフリーシネマの言及

【イギリス映画】より

…第2次大戦中には情報局がこの運動の成果と人材をフルに動員してニュース映画や戦時ドキュメンタリーを製作する。のちに〈フリー・シネマ〉の旗手L.アンダーソンによって〈イギリス映画の生んだ唯一の詩人〉とたたえられ,また〈戦時下の詩人〉とも呼ばれたH.ジェニングス(1907‐50)の《イギリスに聞け》(1941),《火の手は上がった》(1943)などが作られたのがこの時期である。またドキュメンタリーフィルムの断片をドラマにとり入れたり,ドキュメンタリー的手法を活用した劇映画が次々と作られた。…

※「フリーシネマ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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