アメリカの実験物理学者。ワシントンDC生まれ。ワシントン・リー高校を卒業して、1954年にバージニア科学技術専門学校に入学。最初は電気技師を志すが、キルヒホッフの法則に基づいた図面を書くだけの授業に辟易(へきえき)する。化学への転向を試みるが、結局は物理学専攻を決める。将来はビジネスの世界に入ることを漠然と考えていたが、物理学の勉強が足りないと感じて1年残って修士号を取得。さらにデューク大学に進んで、1965年に博士論文を書き上げた。1967年にコーネル大学の原子固体物理学研究所に参加。ここで研究者として働いていた1972年、ヘリウム3を絶対零度(-273.15℃)近くの極低温にしたときに現れる「超流動」という現象を、D・リー、大学院生のD・オシェロフとともに発見した。ヘリウム3を極低温に冷却すると、原子や分子などのミクロの世界が従う量子力学の法則に、ヘリウム3がマクロのまま従うようになる。これが超流動で、この状態のとき、コップの中のヘリウムがコップの壁を伝って自然に外へ這(は)うように流れ出る現象が観測される。1990年に原子固体物理学研究所の所長となる。ヘリウム3の超流動の発見で、リー、オシェロフと1996年のノーベル物理学賞を共同受賞した。
[馬場錬成]
イギリスの演出家、映画監督。ヨークシャーのシップリーに生まれる。オックスフォード大学を卒業、舞台やテレビの演出をしながら、映画の製作・批評にもかかわる。1956年にジョン・オズボーン作『怒りをこめてふり返れ』を演出し、大成功を収めた。1958年には共同で映画製作会社を設立、翌年『怒りをこめてふり返れ』の映画化で監督デビュー。引き続き『蜜(みつ)の味』(1961)、『長距離ランナーの孤独』(1962)とリアリズムによる庶民ドラマを連作、新しいイギリス映画の旗手となる。その後の代表作に『トム・ジョーンズの華麗な冒険』(1963。アカデミー監督賞受賞)、『ラブド・ワン』(1965)、『マドモアゼル』(1966)、『ホテル・ニューハンプシャー』(1984)などがある。
[宮本高晴]
怒りを込めて振り返れ Look Back in Anger(1959)
寄席芸人 The Entertainer(1960)
サンクチュアリ Sanctuary(1961)
蜜の味 A Taste of Honey(1961)
長距離ランナーの孤独 The Loneliness of the Long Distance Runner(1962)
トム・ジョーンズの華麗な冒険 Tom Jones(1963)
ラブド・ワン The Loved One(1965)
マドモアゼル Mademoiselle(1966)
ジブラルタルの追想 The Sailor from Gibraltar(1967)
遥かなる戦場 The Charge of the Light Brigade(1968)
悪魔のような恋人 Laughter in the Dark(1969)
ハムレット Hamlet(1969)
太陽の果てに青春を Ned Kelly(1970)
大本命 Dead Cert(1974)
ジョゼフ・アンドリュースの華麗な冒険 Joseph Andrews(1977)
ボーダー The Border(1981)
ホテル・ニューハンプシャー The Hotel New Hampshire(1984)
ブルースカイ Blue Sky(1994)
イギリスの小説家。学校教育はほとんどなく、若くしてロンドンの印刷業者の徒弟となる。仕事に励み、やがて独立してついに出版業組合長になり、国会関係の印刷物を引き受けるほど成功した立志伝中の人である。同業者から教訓書を兼ねた模範書簡集を書くように勧められ、軽い物語風の脚色をした手紙集を執筆するうちに、新しい形の物語の可能性についてヒントを得た。手紙集を一時中止してとりかかり、1740年発表したのが小説『パミラ』である。彼はこのとき50歳を過ぎていた。この作品に盛られた教訓にやや功利的な点もあってかなりの批判、パロディーが現れ、彼はそれらに答える意図もあって『パミラ』第二部も書いている。そういう批判を踏まえ、より大きな構想をもって書かれたのが大作『クラリッサ』(1747~48)で、これで彼の作家としての名声は確立された。
彼は社交界に出入りするようになり、とくに彼を取り巻く女性崇拝者のグループは彼の虚栄心を満足させたようである。これまでの二作は女主人公をめぐり結婚問題を中心とする筋であったが、女性崇拝者たちから、理想的男性を描いてもらいたいと求められ、彼は今度は『サー・チャールズ・グランディソン』(1753~54)を書いた。男性の模範ともいうべきサー・チャールズがイギリスとイタリアの若い女性に恋され、新教とカトリックの間にたって迷うという話であるが、教訓調があまりに強く、著者の自己満足に陥る場合が多くて、小説としてはあまりみるべきところはない。彼の作品は新しい市民階級の気分にあって愛読された。ドイツでは新しい市民悲劇の成長を促し、フランスではディドロやルソーに深い影響を与えた。市民道徳と写実を特色とする初期イギリス小説は、デフォーに続く彼の出現によって確立された。
[岡 照雄]
イギリスの物理学者。ヨークシャーのデューズベリ生まれ。ケンブリッジ大学卒業(1900)。1913年王立協会会員に選ばれ、1914年ロンドン大学教授。1924年王立協会教授を兼ね、1939年ナイトに叙せられる。1916年、高温物体からの熱電子放出理論の基礎を確立し、ラジオなどの真空管の改良に貢献、この業績によって1928年のノーベル物理学賞を1929年に受けた。二極真空管において両極に電圧を加えて、陰極の金属を加熱すると、金属から熱電子が放出され、陽極に引き寄せられる。その結果、両極に電流が流れる。この電流は陰極の温度に応じて増加するが、ある温度以上では電流は飽和する。この飽和電流値(Is)と陰極温度(T)、金属の仕事関数(∅)の間には、リチャードソンの近似式Is=AT2exp{-∅/(kt)}が成立する。ここでkはボルツマン定数、Aは普遍定数(リチャードソン定数ともいう)で、金属ではほぼ120A・cm-2・K-2の値をもつ。この式は金属の熱電子放出の物質依存性が仕事関数だけで決まることを意味する。これはエジソンが発見した熱電子放射をさらに発展させたもので熱電子管の基礎的な原理を確立した。
[武澤 隆]
イギリスの数理物理学者、気象学者。ニューカッスル・アポン・タインに生まれる。ケンブリッジ大学キングズ・カレッジ、ロンドン大学に学び、政府機関、産業界、学術機関などに勤務した。差分法を発展させて物理学の問題に応用したが、そのなかでも著しい業績は気象の数値予報と大気運動における拡散の問題にこれを利用したことであり、数値予報のパイオニアといえよう。1922年に刊行された『数値的手段による天気予報』Weather Prediction by Numerical Processは最初の本格的な気象力学の教科書として現在の数値予報の基礎となっている。晩年は心理学に興味をもち、戦争の待ち時間論、国際関係の数理論、計算技術、気象機器などについて幅広く研究した。乱流論におけるリチャードソン数は彼の名に由来する。
[根本順吉]
オーストラリアの女性小説家。本名ロバートソンEthel Florence Lindesay Robertson。メルボルンで医師の子として生まれる。ピアノの勉強に3年間ドイツ留学中、スコットランド人のドイツ文学者J・G・ロバートソンと結婚(1895)。以後帰国は1912年1回だけで、イギリスに定住。処女作『モーリス・ゲスト』(1908)はサマセット・モームに推賞された。男性的筆名と自然主義流の力強い文体のため、よく男性作家と間違われた。代表作『リチャード・マーニーの運命』はアイルランド人の医師である父の生涯に取材した雄大な三部作で、1917、25、29年にロンドンで出版された。ほかに『身をたてるには』(1910)、『子供時代の終りその他の短編』(1934)など、自伝的な作品が多い。
[平松幹夫]
アメリカの建築家。ルイジアナ州セント・ジェームズに生まれる。ハーバード大学を卒業後、パリのエコール・デ・ボザールで建築を学び、ラブルストやイットルフのアトリエで修業を積んだ。1865年ニューヨークで独立するや、たちまち建築家として頭角を現し、ボストンやシカゴでも活躍。彼の建築はロマネスクを思わせる重量感にあふれたスタイルに特徴があり、粗石積みや半円形アーチを好んで用いた。代表作にボストンのトリニティ・チャーチ(1872)やシカゴのマーシャル・フィールド商会ビル(1885)などがあり、L・サリバンなどその後のアメリカ近代建築家に多大な影響を与えた。ボストンで没。
[谷田博行]
イギリスの小説家。若いころロンドンの印刷屋の徒弟として修業,後に独立して著名な印刷業者となる。その間,生来のまじめさと勤勉によって世に認められ,一,二の劇作家とも交わり文壇と関係をもつにいたった。1734年に道徳的教訓書《徒弟奉公人必携》を著し,さらに《イソップ寓話集》に解説を加えたり,《模範書簡集》を企てたりした。40年その《模範書簡集》執筆中に一つの小説を思いつき,書簡体小説《パミラ》2巻(1740)を出版した。女中パミラの手紙を通じて,日常生活や心理を写実的に描き,美徳というモラルをたたえたこの小説によって,近代小説が誕生したともいわれるが,当時は熱狂的な支持とともに強烈な反対が示された。反対の最たるものがフィールディングで,彼は《パミラ》を偽善的であるとしてそのパロディ《シャミラ》(1741)を著し,小説家として出発する。リチャードソンはそうした反対に対する弁明を兼ねて《パミラ続編》(1741)を出版する。さらに45年ごろから彼の周辺に集う女性の崇拝者を相手に新しい小説を読んで聞かせていたが,それが代表作《クラリッサ》7巻(1747-48)である。放蕩者ロバート・ラブレースの登場するこの作品の結末をめぐって,多くの読者が女主人公の死の回避,幸福な結末を作者に嘆願したが,リチャードソンはあくまで女主人公の死の意味を強調した。また,理想的な〈善良な男性〉を描くようにとの読者の訴えにこたえて書いたのが《サー・チャールズ・グランディソン》7巻(1753-54)である。リチャードソンの小説には強い道徳性がその根底にあり,同時に若い男女が性の問題をめぐって相互に,また内的に相克する様子が書簡体的告白の形式を通して詳細に語られる特質がある。18世紀後半のイギリス小説ばかりでなく,ルソーなど大陸の文学にも大きな影響を与え,ディドロは《リチャードソン頌(しよう)》(1762)で〈精神を高め,魂を感動させ,いたるところで善への愛を表している〉と賞賛した。
執筆者:榎本 太
イギリスの女流作家。伝記的なことは,後期ビクトリア時代の閉鎖的な家庭に育ち,美術家アラン・オードルの妻であること以外ほとんどわかっていない。文学とは,経験によって豊かにされ,自覚的に集中した瞑想ができる人間の安定した意識の産物であるとの信念に基づき,同時代のM.プルースト,J.ジョイス,V.ウルフや文壇などとはまったく無関係に,独自に〈内的独白〉の手法を開拓した。職業婦人ミリアム・ヘンダーソンのおよそ17年間(1893-1910)の生活を扱った《とがった屋根》(1915)から《ゆるやかな丘》(1938)に至る12巻の連作長編《巡礼》の創作に没頭した。ひたすら主人公の意識のみを追う彼女の作品は,その純粋さのため現在では冗長とされる傾向が強いが,〈意識の流れ〉派の創始者の一人として現代文学の発展のうえで無視できない存在である。
執筆者:鈴木 建三
イギリスの物理学者。1900年ケンブリッジのトリニティ・カレッジを卒業,キャベンディシュ研究所のJ.J.トムソンの下で高温物体からの電気の放出現象を研究,01年真空中の白金を用い,単位表面積から放出される電子数と温度との関係を示す実験式を提出した。06年招きによってアメリカのプリンストン大学に赴き,13年まで同大学で熱電子放出,光電効果,磁気回転効果についての研究を行った。13年ロンドン大学キングズ・カレッジのホイートストン物理学教授となり,同年,タングステンと高真空の使用によって,熱電子放出の原因が高温物体の物理的性質にあることを確証した。これら一連の熱電子放出現象(リチャードソン効果とも呼ばれる)の研究により,28年にノーベル物理学賞を受賞した。
→電子放出
執筆者:日野川 静枝
アメリカの建築家。南部ルイジアナ生れ。ハーバード大学,パリのエコール・デ・ボザール(国立美術学校)に学び,ボストン,シカゴなどで活躍する。ロマネスク建築を思わせる粗石積み,半円形アーチを好み,かつ自由な平面と外観,地方産の材料と構造を合理的に結びつけた作風を確立。ボストンのトリニティ教会(1877)の競技設計入賞で名声を得,マーシャル・フィールド商会(1887)で〈シカゴ派〉の先駆者となる。スタウトン邸(1883)は〈シングル(杮(こけら)板)様式Shingle Style〉の住宅建築の確立に貢献した。マッキム,ミード(マッキム・ミード・アンド・ホワイト)はともに彼の助手。L.H.サリバンやF.L.ライトら,その後のアメリカ近代建築に大きな影響を与える。
執筆者:山口 廣
イギリスの俳優。1921年初舞台。地方での活動を経てロンドンに登場し,J.B.プリーストリーの一連の劇の主役で評判となった。第2次大戦をはさんでオールド・ビックで演じたシェークスピア劇で実力を発揮し,《夏の夜の夢》のボトムや《ヘンリー4世》のフォールスタッフのような喜劇的な役と,マクベスや《あらし》のプロスペローのような深みのある役の両方を手がけた。他方,イプセンの諸作やグレアム・グリーンの《やさしい恋人》,H.ピンターの《だれもいない国》などの現代劇にも出演,死の直前まで現役であった。一見地味だが,哀愁と滑稽感をもった役を得意とした。1947年,サーの称号を与えられた。
執筆者:喜志 哲雄
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(内海孝)
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…19世紀中ごろ,造園家ダウニングAndrew Jackson Downing(1815‐52)は,その著作活動を通じてチューダー朝およびイタリア風の建築・造園様式を紹介する一方,伝来の木造建築の特色――構造と仕上げの両面に表れたスティック(木造骨組部材)――を直接表現すべきであると説いて,アメリカ独自の木造住宅様式の創始を促した。南北戦争後は中規模住宅に新機軸が打ち出され,とくに柿(こけら)葺きの一種で,自在な平面計画とのび広がるマッス(量塊)の表現を特徴とするシングル・スタイルshingle styleは,ストートン邸(設計H.H.リチャードソン,1882‐83,ケンブリッジ)等の傑作を生んだ。19世紀末にはアカデミズムの立場からの反動が興って伝統復興を促し,この傾向はその後半世紀の間続く。…
…その先駆となるのは,長らく真実の書簡集と思われていたが今日ではフランスのギユラーグ伯の作と推定される,有名な《ポルトガル文》(1669)である。18世紀に入るとイギリスではS.リチャードソンの《パミラ》(1740),《クラリッサ・ハーロー》(1747‐48),T.G.スモレットの《ハンフリー・クリンカー》(1771),フランスではモンテスキューの《ペルシア人の手紙》(1721),ルソーの《新エロイーズ》(1761),ラクロの《危険な関係》(1782),ドイツではゲーテの《若きウェルターの悩み》(1774)など質・量ともに最盛期を迎え,バルザックの《二人の若妻の手記》(1841‐42),ドストエフスキーの《貧しき人々》(1846)などが流行の終りを飾る19世紀の傑作である。 17世紀後半から18世紀にかけての書簡体小説の出現は,ヨーロッパ諸国で道路網が整備され,郵便馬車による郵便制度が確立されるに伴って,手紙の交換がしだいに人々の日常生活の一部になるという社会的背景を基盤としている点では,セビニェ夫人の《書簡集》に代表される17世紀以降の書簡文学littérature épistolaireの隆盛とも無縁ではない。…
…イギリスの小説家S.リチャードソンの同名の書簡体小説(1740)の女主人公。主人の息子Bは女中パミラPamela Andrewsを情欲の対象とし,手練手管を弄して誘惑するが,パミラの操は固く,また賢く振るまい,ついにBは彼女を正式な妻とする。…
…イギリスの小説家S.リチャードソンの書簡体小説《クラリッサClarissa》(1747‐48)に登場する放蕩者。ラブレースは貴族を伯父にもち家柄を誇るが,成上りの中産階級の娘クラリッサ・ハーローに目をつけ彼女を誘惑しようとする。…
※「リチャードソン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
米テスラと低価格EVでシェアを広げる中国大手、比亜迪(BYD)が激しいトップ争いを繰り広げている。英調査会社グローバルデータによると、2023年の世界販売台数は約978万7千台。ガソリン車などを含む...
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