リチャードソン(読み)りちゃーどそん(英語表記)Samuel Richardson

日本大百科全書(ニッポニカ) 「リチャードソン」の意味・わかりやすい解説

リチャードソン(Robert C. Richardson)
りちゃーどそん
Robert C. Richardson
(1937―2013)

アメリカの実験物理学者。ワシントンDC生まれ。ワシントン・リー高校を卒業して、1954年にバージニア科学技術専門学校に入学。最初は電気技師を志すが、キルヒホッフの法則に基づいた図面を書くだけの授業に辟易(へきえき)する。化学への転向を試みるが、結局は物理学専攻を決める。将来はビジネスの世界に入ることを漠然と考えていたが、物理学の勉強が足りないと感じて1年残って修士号を取得。さらにデューク大学に進んで、1965年に博士論文を書き上げた。1967年にコーネル大学の原子固体物理学研究所に参加。ここで研究者として働いていた1972年、ヘリウム3を絶対零度(-273.15℃)近くの極低温にしたときに現れる「超流動」という現象を、D・リー、大学院生のD・オシェロフとともに発見した。ヘリウム3を極低温に冷却すると、原子や分子などのミクロの世界が従う量子力学の法則に、ヘリウム3がマクロのまま従うようになる。これが超流動で、この状態のとき、コップの中のヘリウムがコップの壁を伝って自然に外へ這(は)うように流れ出る現象が観測される。1990年に原子固体物理学研究所の所長となる。ヘリウム3の超流動の発見で、リー、オシェロフと1996年のノーベル物理学賞を共同受賞した。

[馬場錬成]


リチャードソン(Tony Richardson)
りちゃーどそん
Tony Richardson
(1928―1991)

イギリスの演出家、映画監督。ヨークシャーのシップリーに生まれる。オックスフォード大学を卒業、舞台やテレビの演出をしながら、映画の製作・批評にもかかわる。1956年にジョン・オズボーン作『怒りをこめてふり返れ』を演出し、大成功を収めた。1958年には共同で映画製作会社を設立、翌年『怒りをこめてふり返れ』の映画化で監督デビュー。引き続き『蜜(みつ)の味』(1961)、『長距離ランナーの孤独』(1962)とリアリズムによる庶民ドラマを連作、新しいイギリス映画の旗手となる。その後の代表作に『トム・ジョーンズの華麗な冒険』(1963。アカデミー監督賞受賞)、『ラブド・ワン』(1965)、『マドモアゼル』(1966)、『ホテル・ニューハンプシャー』(1984)などがある。

[宮本高晴]

資料 監督作品一覧

怒りを込めて振り返れ Look Back in Anger(1959)
寄席芸人 The Entertainer(1960)
サンクチュアリ Sanctuary(1961)
蜜の味 A Taste of Honey(1961)
長距離ランナーの孤独 The Loneliness of the Long Distance Runner(1962)
トム・ジョーンズの華麗な冒険 Tom Jones(1963)
ラブド・ワン The Loved One(1965)
マドモアゼル Mademoiselle(1966)
ジブラルタルの追想 The Sailor from Gibraltar(1967)
遥かなる戦場 The Charge of the Light Brigade(1968)
悪魔のような恋人 Laughter in the Dark(1969)
ハムレット Hamlet(1969)
太陽の果てに青春を Ned Kelly(1970)
大本命 Dead Cert(1974)
ジョゼフ・アンドリュースの華麗な冒険 Joseph Andrews(1977)
ボーダー The Border(1981)
ホテル・ニューハンプシャー The Hotel New Hampshire(1984)
ブルースカイ  Blue Sky(1994)


リチャードソン(Samuel Richardson)
りちゃーどそん
Samuel Richardson
(1689―1761)

イギリスの小説家。学校教育はほとんどなく、若くしてロンドンの印刷業者の徒弟となる。仕事に励み、やがて独立してついに出版業組合長になり、国会関係の印刷物を引き受けるほど成功した立志伝中の人である。同業者から教訓書を兼ねた模範書簡集を書くように勧められ、軽い物語風の脚色をした手紙集を執筆するうちに、新しい形の物語の可能性についてヒントを得た。手紙集を一時中止してとりかかり、1740年発表したのが小説『パミラ』である。彼はこのとき50歳を過ぎていた。この作品に盛られた教訓にやや功利的な点もあってかなりの批判、パロディーが現れ、彼はそれらに答える意図もあって『パミラ』第二部も書いている。そういう批判を踏まえ、より大きな構想をもって書かれたのが大作『クラリッサ』(1747~48)で、これで彼の作家としての名声は確立された。

 彼は社交界に出入りするようになり、とくに彼を取り巻く女性崇拝者のグループは彼の虚栄心を満足させたようである。これまでの二作は女主人公をめぐり結婚問題を中心とする筋であったが、女性崇拝者たちから、理想的男性を描いてもらいたいと求められ、彼は今度は『サー・チャールズ・グランディソン』(1753~54)を書いた。男性の模範ともいうべきサー・チャールズがイギリスとイタリアの若い女性に恋され、新教とカトリックの間にたって迷うという話であるが、教訓調があまりに強く、著者の自己満足に陥る場合が多くて、小説としてはあまりみるべきところはない。彼の作品は新しい市民階級の気分にあって愛読された。ドイツでは新しい市民悲劇の成長を促し、フランスではディドロやルソーに深い影響を与えた。市民道徳と写実を特色とする初期イギリス小説は、デフォーに続く彼の出現によって確立された。

[岡 照雄]


リチャードソン(Sir Owen Willans Richardson)
りちゃーどそん
Sir Owen Willans Richardson
(1879―1959)

イギリスの物理学者。ヨークシャーのデューズベリ生まれ。ケンブリッジ大学卒業(1900)。1913年王立協会会員に選ばれ、1914年ロンドン大学教授。1924年王立協会教授を兼ね、1939年ナイトに叙せられる。1916年、高温物体からの熱電子放出理論の基礎を確立し、ラジオなどの真空管の改良に貢献、この業績によって1928年のノーベル物理学賞を1929年に受けた。二極真空管において両極に電圧を加えて、陰極の金属を加熱すると、金属から熱電子が放出され、陽極に引き寄せられる。その結果、両極に電流が流れる。この電流は陰極の温度に応じて増加するが、ある温度以上では電流は飽和する。この飽和電流値(Is)と陰極温度(T)、金属の仕事関数(∅)の間には、リチャードソンの近似式IsAT2exp{-∅/(kt)}が成立する。ここでkボルツマン定数Aは普遍定数(リチャードソン定数ともいう)で、金属ではほぼ120A・cm-2・K-2の値をもつ。この式は金属の熱電子放出の物質依存性が仕事関数だけで決まることを意味する。これはエジソンが発見した熱電子放射をさらに発展させたもので熱電子管の基礎的な原理を確立した。

[武澤 隆]


リチャードソン(Lewis Fry Richardson)
りちゃーどそん
Lewis Fry Richardson
(1881―1953)

イギリスの数理物理学者、気象学者。ニューカッスル・アポン・タインに生まれる。ケンブリッジ大学キングズ・カレッジ、ロンドン大学に学び、政府機関、産業界、学術機関などに勤務した。差分法を発展させて物理学の問題に応用したが、そのなかでも著しい業績は気象の数値予報と大気運動における拡散の問題にこれを利用したことであり、数値予報のパイオニアといえよう。1922年に刊行された『数値的手段による天気予報』Weather Prediction by Numerical Processは最初の本格的な気象力学の教科書として現在の数値予報の基礎となっている。晩年は心理学に興味をもち、戦争の待ち時間論、国際関係の数理論、計算技術、気象機器などについて幅広く研究した。乱流論におけるリチャードソン数は彼の名に由来する。

[根本順吉]


リチャードソン(Henry Handel Richardson、小説家)
りちゃーどそん
Henry Handel Richardson
(1870―1946)

オーストラリアの女性小説家。本名ロバートソンEthel Florence Lindesay Robertson。メルボルンで医師の子として生まれる。ピアノの勉強に3年間ドイツ留学中、スコットランド人のドイツ文学者J・G・ロバートソンと結婚(1895)。以後帰国は1912年1回だけで、イギリスに定住。処女作『モーリス・ゲスト』(1908)はサマセット・モームに推賞された。男性的筆名と自然主義流の力強い文体のため、よく男性作家と間違われた。代表作『リチャード・マーニーの運命』はアイルランド人の医師である父の生涯に取材した雄大な三部作で、1917、25、29年にロンドンで出版された。ほかに『身をたてるには』(1910)、『子供時代の終りその他の短編』(1934)など、自伝的な作品が多い。

[平松幹夫]


リチャードソン(Henry Hobson Richardson、建築家)
りちゃーどそん
Henry Hobson Richardson
(1838―1886)

アメリカの建築家。ルイジアナ州セント・ジェームズに生まれる。ハーバード大学を卒業後、パリのエコール・デ・ボザールで建築を学び、ラブルストやイットルフのアトリエで修業を積んだ。1865年ニューヨークで独立するや、たちまち建築家として頭角を現し、ボストンやシカゴでも活躍。彼の建築はロマネスクを思わせる重量感にあふれたスタイルに特徴があり、粗石積みや半円形アーチを好んで用いた。代表作にボストンのトリニティ・チャーチ(1872)やシカゴのマーシャル・フィールド商会ビル(1885)などがあり、L・サリバンなどその後のアメリカ近代建築家に多大な影響を与えた。ボストンで没。

[谷田博行]


リチャードソン(Dorothy Miller Richardson)
りちゃーどそん
Dorothy Miller Richardson
(1873―1957)

イギリスの女流小説家。一時H・G・ウェルズと恋愛関係にあった。1917年画家アラン・オードルと結婚。13巻の連作『遍歴』(1915~67。最終巻は死後出版)は、フェミニストの立場から女性の経験および世界観を描いたもの。主人公ミリアム・ヘンダーソンの意識に密着した内的独白による手法は、ジョイス、ウルフらの「意識の流れ」派の先駆と目されている。

[川本静子]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「リチャードソン」の意味・わかりやすい解説

リチャードソン
Richardson, Robert C.

[生]1937.6.26. ワシントンD.C.
[没]2013.2.19. ニューヨーク,イサカ
アメリカ合衆国の物理学者。フルネーム Robert Coleman Richardson。1966年デューク大学で博士号を取得,1967年コーネル大学に職を得た。1990~97年コーネル大学原子固体物理研究所所長,1998~2007年コーネル大学第一副学長を務めた。1972年,デービッド・M.リーとともにコーネル大学イサカ校の低温研究所上級研究員として,ヘリウム3(3He)の性質を研究していた。2人がヘリウム3の試料を絶対零度(-273.15℃)と数千分の1℃程度しか違わない温度に冷却し,その圧力を測定していたとき,研究チームの大学院生ダグラス・D.オシェロフが圧力のわずかだが突然の変化に気づく。それは,超流動状態への相転移の結果だった(→超流動ヘリウム3)。この状態になったヘリウム3は量子力学の法則に従うので,それまで分子原子のような目に見えない粒子で間接的に研究してきた量子効果を,マクロな,目に見えるシステムで直接研究できるようになった。この功績により 1996年,リー,オシェロフとともにノーベル物理学賞を受賞した。

リチャードソン
Richardson, Tony

[生]1928.6.5. ヨークシャー,シップリー
[没]1991.11.14. ロサンゼルス
イギリスの演出家,映画監督。オックスフォード大学在学中に同大学演劇協会 OUDSの会長として演出を手がけていたが,1956年からイギリス舞台劇団の演出家としてロイヤル・コート劇場で『怒りをこめてふり返れ』 (1956) ,『結婚式のメンバー』 (57) などを演出。ほかに代表的演出作品は『蜜の味』 (60) ,『ルター』 (61) ,『チェンジリング』 (61) ,『かもめ』 (64) など。映画でも『怒りをこめてふり返れ』 (58) ,『土曜の夜と日曜の朝』 (60) ,『蜜の味』 (61) ,『長距離ランナーの孤独』 (62) ,『トム・ジョーンズの華麗な冒険』 (63,アカデミー監督賞) などを監督。その後,アメリカ映画界に転じたが,精彩を失った。

リチャードソン
Richardson, Henry Handel

[生]1870.1.3. メルボルン
[没]1946.3.20. サセックス,フェアライト
オーストラリアの女流作家。本名 Ethel Florence Lindesay Richardson。 1888年音楽を学ぶためドイツに渡り,のちイギリスに移り,生涯を外国で過した。 J.G.ロバートソン (のちロンドン大学教授) と結婚後,ピアニストになることを断念,著作に転じ,J.P.ヤコブセンや B.M.ビョルンソンら北欧作家の翻訳を出したのち,ライプチヒでの学生時代の体験に基づく処女作『モーリス・ゲスト』 Maurice Guest (1908) を発表した。代表作は,19世紀のオーストラリアの状況を広範にとらえつつ,アイルランドから移住した父親の生涯を跡づけた3部作『リチャード・マホニーの資産』 The Fortunes of Richard Mahony (17~29) 。

リチャードソン
Richardson, Samuel

[生]1689.8.19. 〈洗礼〉マックワース
[没]1761.7.4. パーソンズ・グリーン
イギリスの小説家。初めロンドンで出版業者として成功したが,模範書簡集の編纂をきっかけに書簡体小説『パミラ』 Pamela (1740) を書き,一躍名声を博した。この作品は,市民的道徳調と写実的描写によって新興市民層をとらえ,初期イギリス小説の最も重要な作品となった。次作『クラリッサ』 Clarissa: Or,The History of a Young Lady (1747~48) は,さらに複雑な手法による大作。『サー・チャールズ・グランディソン』 The History of Sir Charles Grandison (1753~54) は教訓調が目立ち,やや冗漫のきらいがある。

リチャードソン
Richardson, Jonathan

[生]1665. ロンドン
[没]1745.5.18. ロンドン
イギリスの画家。 J.ライリーに師事し,重厚だがやや生硬な作風で主として肖像画を描く。ロイヤル・アカデミーの前身セント・マーティンズ・レーン・アカデミーの創立に参加。主要作品『ジョージ・バーテュー像』 (1738,ロンドン国立肖像画美術館) 。彼はむしろ美術論で知られ,主著『絵画論』 The Theory of Painting (15) は,若い J.レイノルズらに大きな影響を与えた。

リチャードソン
Richardson, Sir Owen Willans

[生]1879.4.26. デューズベリー
[没]1959.2.15. ハンプシャー,オールトン
イギリスの物理学者。ケンブリッジ大学卒業。 1906年アメリカに渡りプリンストン大学教授。帰国後,ロンドンのキングズ・カレッジ教授 (1914) ,ロンドン大学名誉教授 (44) 。熱せられた金属からの熱電子放出に関する法則を見出し (リチャードソンの法則) ,真空管技術発展に重要な貢献をなし,今日の無線放送時代への端緒を開いた。 28年ノーベル物理学賞受賞。 39年ナイトの称号を受ける。

リチャードソン
Richardson, Dorothy Miller

[生]1873.5.17. バークシャー,アビンドン
[没]1957.6.17. ケント,ベックナム
イギリスの女流作家。「意識の流れ」の手法の創始者の一人。代表作は『とがった屋根』 Pointed Roofs (1915) に始る全 12巻の連作小説『巡礼』 Pilgrimage (38完結) で,中心人物ミリアム・ヘンダーソンの 17年間にわたる生活を追求して,心理の動きや経験の連続をそのままに記録していく手法のもの。

リチャードソン
Richardson, Henry Hobson

[生]1838.9.29. ルイジアナ
[没]1886.4.27. ボストン
アメリカの建築家。 1859年にハーバード大学を卒業後,パリのエコール・デ・ボザールで建築を学び,65年に帰国。新古典主義からビクトリア朝ゴシック様式を経て,ロマネスク様式に移り,装飾性を排除して曲面と直線の簡潔な構成による独自の作風を確立した。代表作品は 72年の設計競技で入選したボストンのトリニティ聖堂 (1873~77) など。

リチャードソン
Richardson, Charles Lenox

[生]?
[没]1862.9.14.
イギリス商人,生麦事件の犠牲者。中国に十数年滞在して 1862年帰国の途中観光のため日本に来遊,横浜在留のイギリス人生糸商人マーシャル,アメリカ商社員イギリス人クラークと観光客ボロデール夫人とともに川崎大師へ馬で小旅行におもむく途中,島津久光の行列に会い,神奈川生麦でその家来の薩摩藩士に斬り殺された。 (→薩英戦争 )

リチャードソン
Richardson, Sir Ralph

[生]1902.12.19. グロスター,チェルトナム
[没]1983.10.10. ロンドン
イギリスの俳優。 1921年にロンドンで初舞台,30~39年オールド・ビック劇団で多くのシェークスピア劇に出演。当り役はヘンリー5世,フォールスタッフ,ブルータス,イアーゴー,オセロなど。また『女相続人』 (1949) ,『落ちた偶像』 (52) ,『ドクトル・ジバゴ』 (65) などの映画でもすぐれた演技をみせている。

リチャードソン
Richardson

アメリカ合衆国,テキサス州北東部の都市。 1853年頃入植。 72年ヒューストン・テキサス・セントラル鉄道の通過が認められ,市街地が設計されるとともに当時の鉄道会社総裁の名を取って改名された。ダラス北部の住宅都市であり,石油,食品関係など多くの研究所がある。電気器具工場も立地。人口7万 4840 (1990) 。

リチャードソン
Richardson, Jack

[生]1935.2.18. ニューヨーク
アメリカの劇作家。ギリシア演劇に材を取り,復讐を拒否するオレステスを描いた『蕩児』 Prodigal (1960) ,独房の死刑囚と死刑執行人の家庭を対照的に描いて生と死の意味を追究した『絞首台のユーモア』 Gallows Humor (61) などの作品がある。

リチャードソン
Richardson, John

[生]1796.10.4. カナダ,フォートジョージ
[没]1852.5.12. ニューヨーク
イギリス系カナダの作家。 1821年のアメリカ=イギリス戦争で捕虜になった体験を生かし,歴史小説,戦記,叙事詩,旅行記などを多数著わした。

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