フリードユング(その他表記)Friedjung, Heinrich

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フリードユング」の意味・わかりやすい解説

フリードユング
Friedjung, Heinrich

[生]1851.1.18. ロシュチン
[没]1920.7.14. ウィーン
オーストリアの歴史家。ユダヤ商人の子。ウィーン,プラハ,ベルリン各大学で学んだのち,1783年ウィーン商業学校教授となったが,『ハンガリーとの合邦』 Der Ausgleich mit Ungarn (1877) が当局の忌諱に触れて免職以後,国民・自由主義的なジャーナリストとして活躍した。主著『ドイツにおけるヘゲモニー闘争。 1859~66』 Der Kamp um die Vorherrschaft in Deutschland1859-66 (2巻,97~98) は,H.ジーベルの帝国建設史よりも客観的に,大ドイツ主義の立場からこの時代を考察している。ほかに『帝国主義時代史』 Zeitalter des Imperialismus (3巻,1919~22) もある。

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