ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ジーベル」の意味・わかりやすい解説
ジーベル
Ziber, Nikolai Ivanovich
[没]1888.5.10. ヤルタ
ロシアの経済学者。キエフ大学卒業後西欧諸国に留学,1873年帰国して母校の経済学,統計学教授となる。この間学位論文『価値と資本に関するリカードの理論』 Teoriya tsennosti i kapitala D. Rikardo v svyazi s pozdneishimi dopolneniyami i raz'yasneiyami (1871) を著わし経済学博士。 75年退職して 84年まで外国生活,81年ロンドンに K.マルクス,F.エンゲルスを訪れる。 76~78年には『資本論』第1巻に関する一連の論文『マルクスの経済学理論』 Ekonomicheskaya teoriya Marksaを発表してロシアへのマルクス経済学の普及に努める一方,71年の学位論文を基礎にした代表作『社会経済の研究におけるリカードとマルクス』 David Rikardo i Karl Marks v ikh obshchestvenno-ekonomicheskikh issledovaniyakh (85) によってマルクス経済学が D.リカードの労働価値論の継承的発展であることを証明。ほかに『原始経済文化概観』 Ocherki pervobytnoi ekonomicheskoi kul'tury (83) などがある。
ジーベル
Sybel, Heinrich von
[没]1895.8.1. マールブルク
ドイツの歴史家。ベルリン大学で L.ランケの高弟となり,ボン,マールブルク,ミュンヘンの各大学教授を歴任。師の学風にあきたらず,歴史学と政治の結びつきを唱え,1848年の三月革命に参加し,フランクフルト準備議会,ヘッセン公国議会に列した。以後彼はプロシアによるドイツ統一の主唱者として「プロシア学派」を形成。 62~64年プロシア国会議員としてビスマルクの軍拡政策に反対したが,プロシア=オーストリア戦争後は国民自由党に入り,彼の政策の支持者となった。 59年『史学雑誌』 Historische Zeitschriftを創刊して生涯その編集にあたり,75年にはプロシア国立古文書館館長となった。主著『ウィルヘルム1世によるドイツ帝国の建設』 Die Begründung des Deutschen Reiches durch Wilhelm I (7巻,1889~94) 。
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