大ドイツ主義(読み)だいどいつしゅぎ(英語表記)Großdeutschtum ドイツ語

日本大百科全書(ニッポニカ) 「大ドイツ主義」の意味・わかりやすい解説

大ドイツ主義
だいどいつしゅぎ
Großdeutschtum ドイツ語

19世紀なかば、オーストリアを中心としてドイツの政治的統一を実現しようとした立場。当時なお30余の領邦諸国家に分裂していたドイツでは、一刻も早く統一を実現し、近代的国民国家に脱皮することが焦眉(しょうび)の課題であった。その際、統一の方法をめぐって、大ドイツ主義と小ドイツ主義とが対立した。前者は、旧神聖ローマ帝国の栄光をとどめるオーストリアを盟主として中欧に大ドイツ連邦を建設しようとし、後者は、オーストリアを除外し、プロイセンの指導を主張するものであった。しかし、多民族国家として多くの民族の独立運動を内包し、すでに崩壊の危機に瀕(ひん)していたオーストリアにとって、ドイツの国民的統一運動を指導する大ドイツ主義の実現は、事実上不可能に近く、「一八四八年の革命」(三月革命)に際してドイツ統一問題を審議したフランクフルト国民議会では、小ドイツ派の現実路線が多数を制した。60年代に入ってからも、大ドイツ主義は、プロイセンの専横反感をもつ南西ドイツ諸邦の間で根強い支持を得ていたが、66年のプロイセン・オーストリア戦争でプロイセンが圧勝したことにより、終止符を打たれた。

[良知 力]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大ドイツ主義」の意味・わかりやすい解説

大ドイツ主義
だいドイツしゅぎ
Grossdeutschtum

19世紀のドイツ統一運動において,オーストリア帝国を含め,その指導下にドイツの統一を実現しようとする立場。 1848年のフランクフルト国民議会において,オーストリアはバイエルン,ヘッセン,メクレンブルクなどの反プロシア勢力を結集して,プロシア王国を中心にオーストリアを除外して統一を実現しようとする小ドイツ主義と激しく対立したが,オーストリア政府の反動的態度や,プロシアの反対によって敗れた。 63年オーストリアは,フランクフルト諸侯会議を開き,大ドイツ主義に基づくドイツ連邦の強化という形でのドイツ統一を試みたが,改革案はプロシアによって拒絶され,両国の対立は激化し,結局 66年のプロシア=オーストリア戦争にプロシアが勝って,小ドイツ主義によるドイツの統一が成った。しかしその後も,オーストリア帝国内でのカトリック的なドイツ民族主義という形で残存した。

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