日本大百科全書(ニッポニカ) 「フロローフスキー」の意味・わかりやすい解説
フロローフスキー
ふろろーふすきー
Георгий Васильевич Флоровский/Georgiy Vasil'evich Florovskiy
(1893―1979)
長司祭、神学者、教会史研究者、ロシア文化史研究者。8月28日(ロシア暦)オデッサ(現、オデーサ)の司祭の子として生まれる。オデッサの大学の文科を卒業し大学講師となるが、1920年に亡命したのち、プラハでゲルツェンの歴史哲学に関する学位論文を提出。彼の世界観は思弁哲学ではなく、伝統的な神学にのっとっていた。1926年パリの神学大学の教父学担当教授となり、教父に関する2冊の本と主著『ロシア神学の道』Пути русского богословия/Puti russkogo bogosloviya(1937)を刊行。哲学と神学の相互関係を解く鍵(かぎ)は東方の教父のなかにみいだされるとして、ソロビヨフやブルガーコフの説を退けた。1948年ニューヨークの神学校教授となり、のちハーバード大学などの教壇に立つ。1979年8月11日プリンストンにて死去。終始一貫して世界教会運動(エキュメニカル運動)に積極的に参加。ロシア精神史を描いた前記の『ロシア神学の道』は、革命前のロシアの宗教思想などの注目すべき分析を行い、広範な文献紹介とともに、彼の学識と洞察力を示す不朽の大著である。
[大竹由利子]