出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
ウクライナ南部、オデーサ州の州都。ロシア語ではオデッサ。旧ソ連地域でも屈指の港湾都市。人口102万9000(2001)、99万3831(2018推計)。黒海北岸のオデーサ湾に面し、ジョージアのバトゥーミ、ルーマニアのコンスタンツァ、トルコのイスタンブールなどへの定期航路をもつ。鉄道によりリビウ、ハルキウ、イズマイルなどとも結ばれる。大きな工業都市で、自動工作機械、ケーブル、トラクター部品、造船、冷凍機、大型クレーン、映写機、化学肥料、農産物および食品加工(茶、食肉など)、その他の工場がある。大学、商船学校ほか各種の研究教育機関が置かれているが、角膜移植で有名なフィラトフ眼科医学研究所もその一つである。郊外には天文台、映画撮影所のほか、海水浴場、鉱泉があり、保養地ともなっている。エイゼンシュテインの映画『戦艦ポチョムキン』で有名な「ポチョムキンの階段」が、市の中心街プリモルスキー大通りから港へ通じている。
[渡辺一夫]
古くはタタール人の集落カチベイとして、またその崩壊後、トルコ人の集落ハジベイとして知られた。トルコとの戦争の結果、1791年にロシア領となった。古代ギリシアの植民地オデッソスOdessosがあった場所と推定されて、1795年にオデッサと改称。資本主義の発展に伴い、19世紀末までにサンクト・ペテルブルグに次ぐロシア第二の商港、人口では第四の大都市に成長した。とくに小麦の輸出で重要な役割を演じた。文化面でも、1865年に大学が設立され、ロシア人、ユダヤ人、ギリシア人などの民族的接触のなかから独自のものが生まれた。革命運動の舞台でもあり、とくに1905年のロシア革命(第一次)における戦艦ポチョムキン号の反乱で有名である。さらに、1917年の革命後の内戦(対ソ干渉戦争)期にはドイツ・オーストリア軍、イギリス・フランス軍、デニキン白衛軍に相次いで占領された。また第二次世界大戦期には73日間にわたるオデッサ防衛戦の舞台となり、「英雄都市」の称号を受けた。
[原 暉之]
2023年1月、歴史地区が国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産(文化遺産)に登録、また同時に危機遺産にも登録された。
[編集部 2023年5月18日]
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