ソロビヨフ(読み)そろびよふ(英語表記)Сергей Михайлович Соловьёв/Sergey Mihaylovich Solov'yov

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ソロビヨフ」の意味・わかりやすい解説

ソロビヨフ(Vladimir Sergeevich Solov'yov)
そろびよふ
Владимир Сергеевич Соловьёв/Vladimir Sergeevich Solov'yov
(1853―1900)

ロシアの哲学者、宗教思想家、詩人。歴史家セルゲイ・ソロビヨフ次男モスクワに生まれる。モスクワ大学に学び、マギステル修士論文西欧哲学の危機』を発表(1874)、西欧諸哲学の抽象的傾向を指摘し、ショーペンハウアーハルトマンの哲学にこの傾向の超克をみる。1875年、エジプトで幻の女性との邂逅(かいこう)という神秘的経験をする。このころから詩作を開始。モスクワ大学、ペテルブルグ大学などで教えつつ、新しい独自の哲学体系の構築に専心するが、1881年皇帝暗殺者たちの死刑に反対して大学を辞す。その間、自由神智(しんち)学と称する体系を展開した『全一的知識の哲学原理』(1877)、神人とソフィヤ(知恵)の概念を核に、世界と神との再結合の方法と根拠を考察した『神人論』(1878~1880)、従来の倫理学と認識論を批判し、自由神政制と自由神智学の体系を確立した博士論文『抽象原理批判』(1877~1880)などを発表。1880年代は、『大論争とキリスト教政治』(1883)、『神政制の過去と未来』(1887・ザグレブ)、『ロシアと普遍公教会』(1888・パリ)などを発表して、自由神政制と万有普遍公教会の理念を核にした教会思想を主張、正教会とカトリック教会の再合同の必要性を説き、しだいにカトリックへ接近してゆく。1890年代は国の内外を転々として、美学、詩論、詩人論を発表、倫理学の大著『善の基礎づけ』(1897)を著す。終末論的視野より戦争と平和の問題を論じた『三つの会話』(1900)が最後の著書。彼は思想的に神秘主義にたち、スラブ主義宗教哲学の完成者とみなされる。

[御子柴道夫 2018年2月16日]

『御子柴道夫訳『ソロヴィヨフ著作集』全6巻(1982/改訂版・2010・刀水書房)』『御子柴道夫著『ソロヴィヨフとその時代』ソロヴィヨフ著作集別巻1、2(1982・刀水書房)』


ソロビヨフ(Sergey Mihaylovich Solov'yov)
そろびよふ
Сергей Михайлович Соловьёв/Sergey Mihaylovich Solov'yov
(1820―1879)

ロシアの歴史家。哲学者ウラジーミル・ソロビヨフの父。モスクワの聖職者の家庭に生まれる。モスクワの大学で歴史を学び、グラノフスキーの影響を受けた。大学卒業後、パリ、ベルリン、ハイデルベルクなどの大学でミシュレやランケの講義を聞く。1847年モスクワ大学の歴史学の教授に就任。51年より『古代からのロシア史』を出版し始めた。これは死ぬ79年までに28巻刊行されたが、最後の29巻は死後出版された。若いときはスラブ主義的傾向をもっていたが、まもなく穏健な西欧主義に傾き、ピョートル1世(大帝)の改革をロシア史上重要な貢献として高く評価した。彼の業績は、次の世代のクリュチェフスキーらに大きな影響を与えた。

[外川継男]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ソロビヨフ」の意味・わかりやすい解説

ソロビヨフ
Solov'ëv, Vladimir Sergeevich

[生]1853.1.28. モスクワ
[没]1900.8.13. モスクワ,ウーズコエ
ロシアの哲学者。歴史学者 S.M.ソロビヨフの次男。 1874年モスクワ大学を卒業後,同大学およびペテルブルグ大学 (1880~81) の教壇に立った。 81年のアレクサンドル2世暗殺事件に際して犯人への寛大な処置を訴えたことから免職され,以後著述に専念。哲学者としては信仰と科学の調和を唱え,神学者としてはロシア教会とローマ教会の統一を唱えた。主著には『西欧哲学の危機』 Krizis zapadnoi filosofii (74) ,『ロシアと普遍教会』 La Russie et l'Eglise Universelle (89,パリ) ,『善の基礎づけ』 Opravdanie dobra (94~97) などがある。またキリストとの神秘的邂逅を歌った詩人としても有名で,これはのちのシンボリストたちに強い影響を与えた。

ソロビヨフ
Solov'ëv, Sergei Mikhailovich

[生]1820.5.17. モスクワ
[没]1879.10.16. モスクワ
ロシアの歴史学者。哲学者 V.S.ソロビヨフの父。モスクワ大学卒業後,フランス,ドイツへ留学。帰国後モスクワ大学でロシア史を講じ,1847年同大学教授。その史観は N.M.カラムジンの主観主義的史観と異なり歴史が合法則的に展開することを主張するもの。彼は国家を人類生活の最良の表現と見,そのロシア史における役割を強調した。またピョートル1世 (大帝) の改革の意義を高く評価して,西欧派的立場を示した。その膨大な研究業績はロシア史学に一時期を画し,V.O.クリュチェフスキーや S.F.プラトーノフら以後の歴史家に大きな影響を与えた。主著『古代よりのロシア史』 Istoriya Rossii a drevneishikh vremën (29巻,1851~79) は今日おいても最良のロシア通史の一つである。

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