現代外国人名録2016 「フースヒディンク」の解説
フース ヒディンク
Guus Hiddink
- 職業・肩書
- サッカー指導者 元サッカー・オランダ代表監督
- 国籍
- オランダ
- 生年月日
- 1946年11月8日
- 出身地
- Varsseveld
- 経歴
- 9歳でサッカーを始め、オランダリーグのデフラーフスハプ、PSVなどでプレー、オランダ代表経験はない。1981年指導者となり、’82〜84年デフラーフスハプ監督を経て、’86年からPSVを率いて4季連続リーグ優勝、’88年にはリーグ、カップ、欧州チャンピオンズリーグを制して3冠を達成。また’89年にはブラジル代表のロマーリオを獲得するなど、選手を見抜く力にも優れる。’90〜91年トルコのフェネルバフチェ、’91〜94年スペインのバレンシアを経て、’95年1月からオランダ代表監督を務め、’98年W杯フランス大会では4強入りを果たす。同年スペインの強豪レアル・マドリード監督となり、トヨタ杯を制覇。2000年2月〜5月スペインのベティス監督を経て、2001年韓国代表監督に就任。2002年W杯日韓共催大会でアジア初のベスト4に導く。異なる2ケ国でのW杯ベスト4は史上初の快挙となった。大会後、韓国サッカー協会に契約延長のオファーを受けるが、7月PSV監督に復帰。2004〜2005年シーズンに4強に導く。2005年7月オーストラリア代表監督に就任。オーストラリアを32年ぶりにW杯出場へ導き、2006年W杯ドイツ大会では3大会連続で決勝トーナメント進出を果たす。大会終了後、4年契約でロシア代表監督に就任。2008年6月欧州選手権4強。2009年イングランド・プレミアリーグのチェルシー監督を兼務。組織的で攻撃的なチーム作りに定評があり、その采配は“マジック”とも呼ばれるが、同年11月W杯予選でロシアは敗退した。2010年8月トルコ代表監督に2年契約で就任したが、2011年11月UEFA欧州選手権(EURO2012)本大会出場を逃し、解任。2012〜2013年ロシアのアンジ・マハチカラ監督。2014年W杯ブラジル大会後に再びオランダ代表監督となるが、2015年6月辞任。相手チームを徹底的に研究し、戦術を細かく変更する。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報