現代外国人名録2016 「ロマーリオ」の解説
ロマーリオ
Romário
- 職業・肩書
- 政治家,元サッカー選手 ブラジル上院議員
- 国籍
- ブラジル
- 生年月日
- 1966年1月29日
- 出生地
- リオデジャネイロ郊外ジャカレンジーニョ
- 本名
- ファリア,ロマーリオ・デ・ソウザ〈Farias,Romário De Souza〉
- 受賞
- FIFA世界年間最優秀選手(第4回)〔1994年〕,南米年間最優秀選手〔2000年〕
- 経歴
- 16歳でバスコ・ダ・ガマとプロ契約。1987年にブラジル代表に初選出され、5月対アイルランド戦で代表デビュー。’88年ソウル五輪で得点王に輝き、銀メダルに貢献。同年オランダのPSVアイントホーフェンに移籍。オランダリーグで3度得点王となる。その後、’93年スペインのバルセロナ、’95年ブラジルのフラメンゴ、’96年スペインのバレンシア、’97年フラメンゴ、2000年バスコ・ダ・ガマ、2002年フルミネンセ、2005年バスコ・ダ・ガマ、2006年米国のマイアミなどを渡り歩く。2007年バスコ・ダ・ガマに復帰し、5月自己申告の数字を含む生涯1000ゴールを達成。10月成績不振で解任された前監督の後任として監督に就任、選手兼監督を務めた。W杯は、1990年のイタリア大会から出場。’94年米国大会では5得点を挙げて優勝に貢献、MVPに輝いた。大会前には父親が誘拐され8億円の身代金を要求されたが、“父が解放されなければW杯に出場しない”と声明を出すと、犯人グループはブラジルが優勝できなくなることを心配して父親を解放、事件は解決した。’98年フランス大会は直前に右ふくらはぎを痛め代表落ち。2002年日韓共催大会は予選で活躍しながら、本大会ではルイス・フェリペ・スコラーリ監督の方針で招集されなかった。2004年代表から引退、2008年3月現役を引退。Aマッチ通算88試合出場、71得点。168センチと小柄ながら、ボールコントロールと決定力を武器に、ブラジル・サッカー界のスター選手として活躍した。この間、1998年コーヒーショップを開店。テレビドラマにも出演するなど、実業家、俳優としても活動。2010年10月連邦下院議員選でリオデジャネイロ州選挙区から初当選を果たす。2014年10月にはリオデジャネイロ州選挙区から上院議員に当選。社会党所属。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報