ブニョロ王国(読み)ブニョロおうこく

改訂新版 世界大百科事典 「ブニョロ王国」の意味・わかりやすい解説

ブニョロ王国 (ブニョロおうこく)

東アフリカ,ウガンダの北西部に1967年まで存在した王国伝承によると三つの王朝が交代したという。最初のテンベジ王朝はキタラ王国と呼ばれたが,その実在をまだ証明されていない神話時代のもので,創造主ルハンガが弟の4人の息子の末子カカマを王(ムカマ)とし,牧畜民ヒマと農耕民イルを支配するように命じたという。この王国には18人の王の名が残されている。第2の王朝は,伝説上では北方から来た皮膚の色が黒くなく背の高い,バチュウェジと呼ばれる人々によってつくられたとされ,彼らは高度の技術をもっていたという。この王朝のときキタラ王国は,現在のタンザニア西部からコンゴ民主共和国の一部にまたがる広大なものとなったという。このバチュウェジ王朝内乱のため3代で北方のルオ語系牧畜民に起源をもつビト王朝に権力を委譲し,ブニョロBunyoro王国あるいはブニョロ・キタラ王国と呼ばれるようになった。ブニョロ王国は19世紀後半には,イギリスの支援をうけたブガンダ王国によってしだいに圧迫され,植民地時代には小王国として自治を認められた。その後ウガンダが独立し,1967年に共和制に移行したとき,26代の王をもってブニョロ王国は消滅した。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「ブニョロ王国」の解説

ブニョロ王国(ブニョロおうこく)
Bunyoro

東アフリカのヴィクトリア湖周辺を支配した王国。ニョロ王国ともいう。版図は現在のウガンダ南部,ケニア西部,タンザニア北西部,コンゴ民主共和国東部,ルワンダブルンジを含み,王(ムカマ)は神聖王として権力をふるった。伝承のテンブジ,チュエジ,ビトの3王朝の実在は確実視されており,15世紀半ば頃ビト王朝成立。18世紀以来ブガンダ王国と敵対し,イギリス統治期には反英勢力として冷遇された。ウガンダ独立後の1967年オボテ政権により王国は滅亡したが,94年に復興

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のブニョロ王国の言及

【ウガンダ】より

…大湖地方とよばれるこの土地には,15世紀ごろ北方よりナイル語系(ナイロート)の牛牧民が侵入を始め,バントゥー語系の農耕民を制圧して王国を形成した。そのなかでも最も強力であったのはブニョロ王国で,現在のウガンダの南半分の領域を支配した。またその周辺に,ブガンダ,ソガ,トロ,コーキなどの小王国も生まれ,西にはアンコーレ王国がブニョロ王国に対抗していた。…

※「ブニョロ王国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android