翻訳|republic
共和政とも書く。一般には世襲君主や選挙による君主以外の個人あるいは集団によって統治される政治形態をいう。この意味では、近代以前にも、ギリシアの都市国家、古代ローマの統治形態や、ルネサンス期イタリアの都市国家のなかに共和制をとるものがあった。ここでは、政治共同体の成員が直接にか、あるいは人民の選出した1人の人間か代表者の集合体を通じて立法・行政などの国政に関する事柄を決定したり執行したりした。典型的な君主国であった明治時代に住んでいた日本人が、共和国といえばイギリスではなく、アメリカ合衆国を念頭に思い浮かべたのはこうした理由による。しかし、共和制を単に君主制との対極概念としてのみ用いると、さまざまな問題がおこる。なぜなら、人民投票によって選ばれたヒトラーの独裁政治も、また今日、第三世界にみられる多数の非民主的軍事政権も、指導者や指導層が君主ではないという意味で彼らの政治形態も共和制の概念に含まれることになるからである。また、イギリスや日本は今日でも世襲の君主や天皇の存続する国々であるが、それではこれらの国を単純に君主制あるいは立憲君主制とよんでもよいかという問題もある。この点については、両国とも現在では君主や天皇は象徴として位置づけられているので民主主義国家とよばれるのが適当であろう。
第二次世界大戦後、数千年の歴史を有する君主制国家はほとんど消滅した。とすると、今日における共和制の定義に関しては、君主の存在の有無ということよりも、その国の政治形態が民主主義的な性格を有しているかどうかという観点からみていくほうが妥当であるように思われる。こうしたとらえ方は古くから存在しなかったわけではない。たとえば、プラトンやボーダンは、われわれが共和国とよぶ語を「よく統治された国」という意味に用いていたし、とくに世界最初の市民革命であるピューリタン革命期に、共和国という意味は明確に民主政体という意味と結び付けられて登場しているからである。革命の最高潮期(1649)に革命派は国王を処刑し、貴族の牙城(がじょう)である上院を廃止し、イギリス史上最初の共和国を一時期実現し、自分たちの国を圧制の対極たる自由国家(フリー・ステート)と宣言している。またこの時期にハリントンはその著『オシアナ(大洋)』(1656)において、君主制の廃絶によるリパブリカニズム(共和主義)を主張し、人民の意志に基づく代議機関を最高機関とする民主政治を最良の政治形態としている。ハリントンこそ、君主なき民衆統治をリパブリカニズムすなわちデモクラシーとして位置づけた最初の思想家であり、彼の思想は、一方では、近代における最初の共和国、アメリカ合衆国の政治制度に実際に結実され、他方ではフランス革命の精神的父ルソーの「一般意志」論に受け継がれたものと思われる。
しかし、イギリスにおいてもフランスにおいても、市民革命によってもなお君主制は存続した。だが、その後、これらの国々では国民代表的性格をもつ議会の権限・地位が強化されていくなかで、イギリスでは象徴としての君主をいただく民主主義国として、フランスでは第三共和政成立(1871)以来、民主共和国としてハリントン的な政治形態を実現していった。そして、君主制は、第一次、第二次両大戦を通じて次々に消滅し、今日ではほとんどの国々が民主共和国への道を歩んでいる。
そこで今日の問題は、君主なき共和制という意味よりも、共和制の内容が真に民主主義的な実質を備えているかどうかという点にある。とくに、第一次大戦後、人民民主主義的な共和制を目ざす社会主義国家が出現したことは、既存の議会制民主主義をとる資本主義国家の政治に対して改めてその民主主義的性格の本質を問い直すことを迫った。また第二次大戦後、旧植民地領から独立した多数の国々はそのほとんどが共和国であり、ここでも共和国に本来固有な民主主義的性格をどのように実現するかが問われている。
[田中 浩]
ラテン語の原義(res publica=共同のもの)が示すように,本来,ある政治社会が,ある特定の個人ないし階層の私物ではなく,構成員全体のものであり,全構成員の共同の利益のために存在しているとみなされる体制をいう。古代ギリシアのポリス,あるいは,共和制ローマにおけるキウィタスの観念は,このようなものであり,それを支えるのが,市民の政治的・人倫的卓越性(徳)であるとされた。ローマが帝政期にはいり,帝国が皇帝の私物とみなされるようになると,共和制の観念は,批判的・理念的価値をもつようになる。共和制の理念は,その後もヨーロッパの政治思想のなかにうけつがれるが,政治社会を呼ぶのに共和国の語がつかわれていても,実質的には君主制,寡頭制がおこなわれていることも多い。すなわちマキアベリの提示したStatoの観念によって,国家を一個の権力機構としてみる視点が打ち出されて以後も,Statoの語を用いずに共和国république(commonwealth)の語を用いた著作は多い。主権の観念を確立し,絶対王政の理論的基礎を与えたJ.ボーダン,あるいはホッブズにおいてさえ,共和国の語が用いられている。
しかし絶対主義の時代において,これに対抗する思想は専制政治に対する概念として,共和制の観念を用いることになる。ピューリタン革命はその典型的な現れといえよう。国王処刑後,イングランドは,クロムウェルの指導下に共和制を樹立する。その後,共和派内部では,独立派IndependentsとレベラーズLevellers(水平派)の対立が激化し,前者が勝利することになるが,その時期にレベラーズが,3次にわたって提出した〈人民協約Agreements of the People〉(1647)は普通選挙に基づく徹底した共和制を唱えている。またルソーは,構成員全員一致の社会契約によって成立した共同体のみを国家,共和国と呼び,一体としての人民をその主権者としたが,これは共和制理念と人民主権論との結びつきの,最も明確な理論的表現である。
→共和
執筆者:吉岡 知哉
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…イギリスにおいて15世紀ごろから〈共通の利益をはかる目的で構成された政治組織体〉,すなわち〈国家の理想的形態〉の意味で用いられた言葉で,意味上はラテン語のrespublicaや英語のrepublicと同様である。のちに同じ趣旨に立って,国家内の州の間の,また独立国・属領の間の〈連邦〉の意味でも用いられるようになった。…
…古くは,君主が名実ともに国家を代表するのが普通であったし,君主が政治的実権を失っても,形式的に国家を代表するのは君主である場合が多かった。しかし,君主制が廃止されて共和制になると,これまでの君主に代わって,儀礼的・形式的に国家を代表する官職が必要となり,普通それが大統領と呼ばれている。ただ,すべての共和国が大統領制をとっているわけではなく,中国などでは大統領という官職は設けられていない。…
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