ヘルツベルク(その他表記)Herzberg, Gerhard

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヘルツベルク」の意味・わかりやすい解説

ヘルツベルク
Herzberg, Gerhard

[生]1904.12.25. ドイツ,ハンブルク
[没]1999.3.3. カナダ,オタワ
ドイツ生まれのカナダの物理学者。ダルムシュタット工科大学に学び,1930~35年同大学私講師。1935年ナチス政権を逃れてカナダに移り,サスカチュワン大学教授。1945年から 3年間シカゴ大学ヤーキズ天文台に在職後,再びカナダに帰り,国立研究所で研究。水素酸素窒素炭酸ガスなどの二原子分子遊離基スペクトルを研究し,これらの分子の電子配置ならびに幾何学的構造を決定した。また宇宙空間に存在する遊離基のスペクトルを初めて確認し,惑星恒星大気に関する分光学的研究にも貢献。1971年ノーベル化学賞を受賞した。主著"Atomspektren und Atomstruktur"(1936),"Molecular Spectra and Molecular Structure"(全4巻,1939~79)。(→分光学

ヘルツベルク
Hertzberg, Ewald Friedrich, Graf von

[生]1725.9.2. ロッティン
[没]1795.5.27. ベルリン
ドイツ,プロシアの政治家。フリードリヒ2世 (大王)時代最後の外相として,また次王フリードリヒ・ウィルヘルム2世時初期の指導的政治家として活躍。 1745年プロシア官僚となり,政府および外務関係記録官を経て,50年には王直属の官房記録所管理を委託され,フリードリヒ2世の数多くの歴史叙述にも協力。 57年国務次官。 63年外相に就任。次王の即位 (1886) とともに影響力を獲得し,プロシアの領土拡大,列強との調整を外交方針としたが,失敗し,91年辞任。

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367日誕生日大事典 「ヘルツベルク」の解説

ヘルツベルク

生年月日:1725年9月2日
プロシアの政治家
1795年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヘルツベルク」の意味・わかりやすい解説

ヘルツベルク
へるつべるく

ヘルツバーグ

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