日本大百科全書(ニッポニカ) 「ペドロ・バプチスタ」の意味・わかりやすい解説
ペドロ・バプチスタ
ぺどろばぷちすた
Pedro Baptista (Bautista)
(1545―1597)
スペインのフランシスコ会宣教師。アビラ出身。メキシコを経てマニラで布教中、フランシスコ会遣外管区長となり、フィリピン総督の使節として、1593年(文禄2)来日、肥前(佐賀県)名護屋(なごや)で豊臣秀吉(とよとみひでよし)に謁見した。以来「日比通商協定」の人質として滞日し、その間イエズス会に拮抗(きっこう)してフランシスコ会の教勢拡張に努め、京都に「天使の元后(げんごう)」(聖母マリア)教会を建立(1594)するなどの布教活動を行ったが、サン・フェリペ号事件に端を発して京都で捕らえられ(1596)、日本二十六聖人の中心的人物として、1597年2月5日(慶長元年12月19日)長崎において磔刑(たっけい)(はりつけ)に処せられた。1862年(文久2)、日本最初の殉教者として列聖された。
[藤川 徹 2018年2月16日]
『キリシタン文化研究会編『キリシタン研究 第8集』(1963・吉川弘文館)』▽『松田毅一著『秀吉の南蛮外交』(1972・新人物往来社)』