ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ペラギウス2世」の意味・わかりやすい解説
ペラギウス2世
ペラギウスにせい
Pelagius II
[没]590.2.7. ローマ
ローマ出身の第63代教皇(在位 579~590)。ゴート族(→ゴート人)出身。在位中は絶えずランゴバルド族がローマを侵攻していた。ビザンチン皇帝チベリウス2世(在位 578~582)に救援を求めたが,ササン朝ペルシアと戦争中の皇帝は援軍を出せず,教皇庁の歴史で初めて,フランク王国に援助を要請した。三章書論争をめぐって北イタリアで長年続いていた教会分裂の解決に腐心したが不首尾に終わり,分裂は 610年まで続いた。また,コンスタンチノープルの司教ヨハネス4世が世界総主教 ecumenical patriarchという肩書を使ったことに抗議したが(→コンスタンチノープル総大主教),チベリウス2世の後継者,皇帝マウリキウス(在位 582~602)がヨハネス4世を支持したため,ビザンチン帝国とローマ教会との間で肩書論争が勃発した。在位中にスペインの西ゴート族がアリウス派からカトリックへ改宗した。大洪水のあとローマを襲った伝染病により死去した。
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