日本大百科全書(ニッポニカ) 「マウレル」の意味・わかりやすい解説 マウレルまうれるIon Gheorghe Maurer(1902―2000) ルーマニアの政治家。ブカレスト生まれ。ブカレスト大学を出て弁護士になり、1936年に共産党に加入した。第二次世界大戦後、1946~1947年国民経済相、1957~1958年外相等を歴任。1960年党政治局員。1961年から首相に就任し、自主路線確立に尽力、ナンバー2と目されたが、チャウシェスクの無謀な工業化政策に批判的で、1974年にすべての公職から身を引き、1976年にはハンガリー系少数民族の同権要求を支持した。[木戸 蓊][参照項目] | チャウシェスク 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マウレル」の意味・わかりやすい解説 マウレルMaurer, Ion Gheorghe [生]1902.9.23. ブカレスト[没]2000.2.8. ブカレストルーマニアの政治家。ブカレスト大学法学部を卒業後,検事,弁護士などを経て 1936年共産党に入党。労働者や反ファシスト運動家の弁護をしたかどで,41~44年には捕われ,獄中生活を送る。第2次世界大戦後建設次官,国民経済次官に就任し,48年党中央委員。 57年外相,58年大国民会議幹部会議長 (元首) 。 60年党政治局員。 61年同幹部会が国家評議会に改められたのに伴い辞任し,首相に就任。 N.チャウシェスク党書記長と対立し,74年に首相を辞任。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by
367日誕生日大事典 「マウレル」の解説 マウレル 生年月日:1902年9月22日ルーマニアの政治家2000年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by