マケドニア内部革命組織(読み)マケドニアないぶかくめいそしき(その他表記)Vnatrešna makedonska revolucionerna organizacija; Internal Macedonian Revolutionary Organization

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マケドニア内部革命組織」の意味・わかりやすい解説

マケドニア内部革命組織
マケドニアないぶかくめいそしき
Vnatrešna makedonska revolucionerna organizacija; Internal Macedonian Revolutionary Organization

マケドニア語の略称は VMRO,英語での略称はイムロ IMRO。マケドニアの自治を目指した秘密組織。 1920年代ブルガリアの内政外交に大きな影響力を行使。 1893年 11月ギリシアのテッサロニカ (セサロニキ) において D.グルエフらの指導下に「マケドニアのためのマケドニア」を掲げて成立。中心的な指導者の G.デルチェフマケドニア問題の解決のために,バルカン連邦を創設し,そのなかでマケドニアが自治をもつ一政治単位となることを構想した。 1903年にイリンデン (聖イリヤの日) 蜂起を企図して失敗し,以後ブルガリアとの関係を強めた。バルカン戦争によってマケドニアがユーゴスラビア,ギリシア両国に分割されて以後はブルガリアの外交政策の道具と化した。第1次世界大戦後 T.アレクサンドロフの指導下に再建され,ブルガリア陸軍省,イタリア政府の援助でテロ活動を継続。 1923年ブルガリア首相 A.スタンボリースキ,1934年ユーゴスラビア国王アレクサンダルを暗殺,内部対立からアレクサンドロフら指導者も殺された。しかし,1944年9月にソビエト連邦によって開放されたブルガリアで成立した K.ゲオルギエフ政権によって弾圧され勢力を失った。その後 1990年に旧ユーゴスラビアで複数政党制による自由選挙が実施されると,政党としてマケドニア内部革命組織-マケドニア民族統一民主党 VMRO-DPMNEが復活し,第1党となった。 1992年から社会民主同盟に政権が移ったが,1998年の選挙で再び政権に復帰。 2002年の選挙で社会民主同盟に敗れた。

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