スタンボリースキ(読み)すたんぼりーすき(英語表記)Aleksandǎr Stambolijski

日本大百科全書(ニッポニカ) 「スタンボリースキ」の意味・わかりやすい解説

スタンボリースキ
すたんぼりーすき
Aleksandǎr Stambolijski
(1879―1923)

ブルガリアの政治家、農民同盟の指導者。ドイツで農学を学んだのち、1902年に農民同盟機関誌の編集者となった。05年、親ドイツ政策をとり第一次世界大戦参加を準備していた国王フェルディナンド1世と対立し、終身刑を受けたが、18年釈放された。同年に国王は退位に追いやられ、翌年の選挙で農民同盟が第一党になり、彼は首相に就任した。同年11月に連合国側とヌイイ条約が締結され、ブルガリアはかなりの領土を失ったが、20年の選挙でも農民同盟は第一党となり、同年5月に単独政権を確立した。彼は農地分配、民主的司法改革、租税平等化などの改革を行い、対外的には農民政党による緑色インターを呼びかけ、南スラブ連邦を構想した。改革の成功により、23年の選挙で大勝したが、これに不安を感じた軍部右翼によるクーデターで彼は惨殺された。

[寺島憲治]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「スタンボリースキ」の意味・わかりやすい解説

スタンボリースキ
Stambolijski, Aleksandur Stoimenov

[生]1879.3.1. スラボニツァ
[没]1923.6.15. スラボニツァ
ブルガリアの政治家。貧しい農家に生れたが援助を得てスイス農業を学んだ。帰国後ジャーナリストになり,農民同盟に参加,1911年その議長に就任。議会反戦,急進的農業改革を要求し,投獄された。 18年9月釈放されたが,反戦兵士を率いてソフィアを攻撃,失敗して地下に潜行した。 19年8月の選挙で農民同盟が第一党となり,10月首相に就任,急進的な税制や農業政策を実施した。 23年6月右翼,軍部,イムロ (→マケドニア内部革命組織 ) がそれに反発してクーデターを起したため,郷里に戻り農民兵を率いて戦ったが虐殺された。

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