スタンボリースキ(その他表記)Aleksandâr Stoimenov Stambolijski

山川 世界史小辞典 改訂新版 「スタンボリースキ」の解説

スタンボリースキ
Aleksandâr Stoimenov Stambolijski

1879~1923

ブルガリア政治家農学校で学んだのち1898年学校教師となり,1900年ドイツに留学。02年帰国し農民同盟に参加。機関紙の編集に携わり,論文,記事を執筆し農民同盟の思想的基盤を固め,全国的組織の拡大に貢献した。バルカン戦争,第一次世界大戦に際しては反戦を唱え,15年9月国王フェルディナント1世と会見後不敬罪で逮捕されたが,18年9月兵士反乱時に釈放され反乱兵士を支援。パリ講和会議に参加しヌイイ条約に調印し,農民同盟の躍進に伴い首相(在任1919~23)となった。農地改革,実学重視の教育改革を行い,荒廃した国土復興のため勤労義務制を導入。周辺諸国との関係修復をめざしたが,23年6月軍事クーデタにより殺害された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「スタンボリースキ」の意味・わかりやすい解説

スタンボリースキ
すたんぼりーすき
Aleksandǎr Stambolijski
(1879―1923)

ブルガリアの政治家、農民同盟の指導者。ドイツで農学を学んだのち、1902年に農民同盟機関誌の編集者となった。05年、親ドイツ政策をとり第一次世界大戦参加を準備していた国王フェルディナンド1世と対立し、終身刑を受けたが、18年釈放された。同年に国王は退位に追いやられ、翌年の選挙で農民同盟が第一党になり、彼は首相に就任した。同年11月に連合国側とヌイイ条約が締結され、ブルガリアはかなりの領土を失ったが、20年の選挙でも農民同盟は第一党となり、同年5月に単独政権を確立した。彼は農地分配、民主的司法改革、租税平等化などの改革を行い、対外的には農民政党による緑色インターを呼びかけ、南スラブ連邦を構想した。改革の成功により、23年の選挙で大勝したが、これに不安を感じた軍部右翼によるクーデターで彼は惨殺された。

[寺島憲治]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「スタンボリースキ」の意味・わかりやすい解説

スタンボリースキ
Stambolijski, Aleksandur Stoimenov

[生]1879.3.1. スラボニツァ
[没]1923.6.15. スラボニツァ
ブルガリアの政治家。貧しい農家に生れたが援助を得てスイス農業を学んだ。帰国後ジャーナリストになり,農民同盟に参加,1911年その議長に就任。議会で反戦,急進的農業改革を要求し,投獄された。 18年9月釈放されたが,反戦兵士を率いてソフィアを攻撃,失敗して地下に潜行した。 19年8月の選挙で農民同盟が第一党となり,10月首相に就任,急進的な税制や農業政策を実施した。 23年6月右翼,軍部,イムロ (→マケドニア内部革命組織 ) がそれに反発してクーデターを起したため,郷里に戻り農民兵を率いて戦ったが虐殺された。

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367日誕生日大事典 「スタンボリースキ」の解説

スタンボリースキ

生年月日:1879年3月1日
ブルガリアの政治家,農民党首領
1923年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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