改訂新版 世界大百科事典 「マックオーリー」の意味・わかりやすい解説
マックオーリー
Lachlan Macquarie
生没年:1762-1824
イギリス領ニュー・サウス・ウェールズ植民地(現,オーストラリア)第5代総督(1810-21)。〈戦艦バウンティ号の反乱〉で有名なブライ総督が1808年に襲われた〈ラム酒反乱Rum Rebellion〉(当時蒸留酒はすべてラムと呼ばれ,このラムは通貨の役割すら果たしていたが,植民地政府がラムの密貿易を厳しく取り締まろうとしたことに対する反乱)の後始末にあたった。一貫して元流刑囚(エマンシピスト)を優遇,植民地行政の各方面に彼らを登用したため,エマンシピストとエクスクルージョニストの対立の端緒を作った。ブルー山脈越えの道路建設をはじめ,種々の公共事業を起こしたり,ニュー・サウス・ウェールズ銀行を17年に開行(頭取には元流刑囚の医師を任命)し,ラム酒を代用通貨とする経済体制を打破した。ラム酒反乱の主謀者でエクスクルージョニストの頭領でもあるジョン・マッカーサーらの憎悪を買い,本国政府に讒訴(ざんそ)されて失脚した。
執筆者:越智 道雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報