メキシコのユカタン半島北部にある都市遺跡。マヤ文明後古典期のもので、1250~1450年ころに繁栄した。およそ4平方キロメートルの範囲に石壁の外壁を巡らし、その内部に4140を数える建物が不規則に位置する。大半は居住用の建物であるが、中央部にはケツァルコアトル神の神殿など約120の宗教的・政治的機能を有した公共建造物がある。その形状には、チチェン・イツァーのようなトルテカ・マヤの様式がみてとれる。しかし、ツォンパントリ(頭蓋(ずがい)骨を並べる台)や球戯場、浴室などはない。伝承によれば、マヤパンの一族はイツァマルと組んでチチェン・イツァーを攻め、イツァー人を追放したが、その後イツァマルとも戦うようになった。後古典期のユカタン半島はいくつものマヤ人の小王国に分裂し、同盟を結んだり戦ったりする時代であった。ランダ神父の『ユカタン事物記』にはそのころの伝承が多く記されている。
[大貫良夫]
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