日本大百科全書(ニッポニカ) 「モンディノ」の意味・わかりやすい解説 モンディノもんでぃのMondino de Luzzi(1270?―1326) イタリアの解剖学者。ボローニャ生まれ。生地の医学校に学び、同校教授。ヨーロッパ中世の解剖学者としては早期の1316年に自ら執刀して人体解剖を行い、解剖学書を出版した。その内容はガレノスと中世アラビア医学の水準を超えるものではなかったが、当時の古典医学書に盲従するのみの伝統的医学者たちに対する警鐘となった。近代医学黎明(れいめい)期の先導者として意義が大きい。[澤野啓一][参照項目] | 解剖学 | ガレノス 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「モンディノ」の意味・わかりやすい解説 モンディノMondino dei Liucci [生]1275頃.ボローニャ[没]1326頃.ボローニャイタリアの医師,解剖学の祖。薬剤師の子として生れ,医学を志してボローニャ大学に学び,そこで学位を得て,のちボローニャ大学の解剖学教授となり,終生その職にあった。その間,1306年以後,学生の教育に際して人体解剖を示し,その説を裏づけたといわれる。当時は宗教的な理由から,下等動物の解剖とガレノスの教本による以外,解剖学的研究は制約されていたが,モンディノは自分で人体解剖を行い,アラビアの解剖書を参考にして『解剖学』 Anatomia (1316) を著わし,これによって,古代ギリシア以来初めて人体解剖によりガレノスの説を例証し,不朽のものとした。この書はのちに,パドバで公刊され 40版を重ねて,ガレノスの教本とともに 200年あまり,中世を通じての標準教科書として尊ばれた。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by