パドバ(英語表記)Padova

デジタル大辞泉 「パドバ」の意味・読み・例文・類語

パドバ(Padova)

イタリア北東部、ベネト州の都市。バッキリオーネ川沿いに位置し、運河が多い。交通の要地であるほか、機械、金属、化学などの工業が盛ん。古代ローマ時代より栄え、13世紀に自治都市となり、以降、ベネチアオーストリアの支配を受けてイタリアに統合された。ボローニャ大学に次ぐ歴史をもつ、13世紀創設のパドバ大学には、世界遺産に登録された世界最古の植物園オルトボタニコがある。また、聖アントニオを祭る13世紀創建のサンタントニオ聖堂ジョットの壁画で知られるスクロベーニ礼拝堂をはじめ、中世からルネサンス期にかけての歴史的建造物が数多く残っている。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「パドバ」の意味・わかりやすい解説

パドバ
Padova

イタリア北部,ベネト州の都市。人口21万0821(2004)。ベネト州で最も重要な農業・商業・工業都市で,農業機械,蒸留酒,製糖,化学繊維の生産が行われている。古代ローマ時代,すでに産業が発達し,自治を享受していたパドバ(古称パタウィウムPatavium)は,ローマに次ぐ第2の富裕な都市に発展した。蛮族の侵攻を境にローマ帝国と同じ運命をたどり,経済活動は衰えた。ランゴバルド時代に封建領主と司教に市政権が移動した。12世紀後半に形成されたコムーネは13世紀に開花し,産業,商業活動はローマ時代の活力を取り戻した。町の繁栄のなかに台頭したカラーラ家は市政内部の政権争いに乗じ,1318年パドバのシニョーレシニョリーア制)の地位を獲得した。カラーラ家の支配下,パドバは政治的,軍事的に強大な力を誇り領地を拡大し,文化活動も頂点に達してパドバ大学(1222創立)からは多数の学者が輩出した。1389年ビスコンティ家との戦いに敗れたカラーラ家の支配力は衰退し,1405年ベネチアに併合された(1797まで)。その後オーストリア領時代の1848年2月,独立を求める蜂起が起こった。
執筆者:

パドバでは14~15世紀にすぐれた画家が活躍した。まず1305年ころ,ジョットが古代の円形闘技場跡に作られたスクロベーニ礼拝堂にフレスコの壁画連作を描く。ドナテロは1443年から約10年間滞在して,ピアッツァ・デル・サントの《ガッタメラータ騎馬像》,イル・サント(サンタントニオ)教会の高祭壇などを制作する。このようなトスカナの美術の新風に触れて育ったマンテーニャは古代美術を崇拝し,遠近法や彫塑的表現にすぐれ,若い時期にエレミターニ教会の礼拝堂に〈聖母被昇天〉などの壁画(第2次大戦中空爆にあう)を制作して,パドバ派を代表するにいたる。また,イル・サント教会のサン・ジョルジョ祈禱所(14世紀)にアルティキエリの,同じくスルオラ・サンタントニオ(15世紀)にティツィアーノの壁画がある。
執筆者: 市立美術館には,絵画館,考古学博物館,リソルジメント博物館,図書館,文書館などが併置されている。絵画館は,おもに14世紀から18世紀にかけてのベネチア派の作品を展示している。代表的な所蔵作品の作家としては,ジョット,ロレンツォおよびパオロ・ベネツィアーノ,ミケーレ・ジャンボーノ,グアリエント,ジョバンニ・ベルリーニ,ジョルジョーネ,ティツィアーノ,ベロネーゼなどの名があげられる。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「パドバ」の意味・わかりやすい解説

パドバ
Padova

イタリア北東部,ベネト州の都市。英語名パドゥア Padua,ラテン語名パタウィウム Patavium。ベネチアの西方,バッキリオーネ川に臨む。古代ローマの都市パタウィウムは,伝説によると,トロイの英雄アンテノールによって建設されたとされ,またパタウィウム出身の歴史家リウィウスによると,前302年には最初の記述があるとされる。都市は繁栄し,11~13世紀にはイタリアを代表するコムーネ(自治都市)となった。詩人ダンテが暮らし,聖アントニウスが埋葬された。1318~1405年にはカラーラ家が統治し,その後,1797年までベネチア共和国に支配された。1815~66年はオーストリアの支配下にあり,その間の 1848年2月には市民が蜂起し,リソルジメント(イタリア統一運動)へと発展した。第2次世界大戦では激しい空爆にさらされ,エレミターニ教会のアンドレア・マンテーニャフレスコ画がほぼ完全に破壊された。
聖アントニオ大聖堂(1232~1307)には聖アントニウスの墓所があり,主祭壇にはドナテロ作の彫刻や浮彫(レリーフ)が飾られている。また,聖堂前広場には同じくドナテロ作で,ベネチアの傭兵隊長エラズモ・ダ・ナルニ(通称ガッタメラータ)をかたどったブロンズ像『ガッタメラータ騎馬像』(1447~50。1453年設置)が据えられている。1552年再建のパドバ大聖堂にはロマネスク様式の洗礼堂がある。そのほか,パラッツォ・デラ・ラジョーネ(1218~19。1306年再建),パラッツォ・デル・カピターノ(1532),16~17世紀建造のパラッツォ・デル・ボーは,ボローニャ大学に次いで世界で 2番目に古い 1222年創立のパドバ大学の中核施設である。
スクロベーニ礼拝堂(1303~05)にはジョットの,スクオーラ・デル・サント(中世の職人ギルドの建物)にはティツィアーノのそれぞれ有名なフレスコ画が納められている。なお,ジョットおよびジョッテスキ(ジョット派)と呼ばれる画家たちが手がけたフレスコ画を収蔵している,スクロベーニ礼拝堂,エレミターニ教会,パラッツォ・デラ・ラジョーネを含む 4地区,8件の建築群は 2021年,「パドバの14世紀フレスコ作品群」として世界遺産文化遺産に登録された。1545年創設の植物園はヨーロッパ最古(それより少し先に開園したピサの植物園は 2度移転しており,原位置を維持している植物園としてヨーロッパ最古)とされ,1997年に世界遺産の文化遺産に登録された。植物園の西側には運河に囲まれた楕円形の広場プラート・デラ・バッレがあり,周囲にはパドバの著名人の銅像が並んでいる。
鉄道と道路が分岐するパドバは,農業,工業,商業の中心地でもある。電気機器,農業機械,オートバイ化学薬品合成繊維などが製造される。人口 21万4198(2011推計)。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「パドバ」の意味・わかりやすい解説

パドバ
ぱどば
Padova

イタリア北東部、ベネト州パドバ県の県都。人口20万3350(2001国勢調査速報値)。英語名パドゥアPadua。バッキリオーネ川沿いに位置し、高速道路や鉄道の幹線が通る交通の要地である。工業も発達し、とくに機械、金属、化学、食品、繊維などの工業が盛んである。1222年に創設されたパドバ大学は、イタリアではボローニャ大学に次いで歴史が古く、1592年から1610年にかけてガリレイが数学教授を務めた。聖アントニウスの墓があるサンタントニオ教会(13世紀)は重要な巡礼地となっている。ほかに、聖母マリアとイエスの生涯を描いたジョットの壁画で知られるスクロベーニ礼拝堂(14世紀)、ドナテッロによるブロンズ像の傑作『ガッタメラータ将軍騎馬像』(1453)など、市内には中世からルネサンス期にかけての美術や建築が多数存在する。

[堺 憲一]

歴史

紀元前4世紀に建設され、ローマと関係を保ちつつ発展した。帝政期に農・工業の中心地となり、ことに羊毛と織物の産地として有名であった。またローマの歴史家リウィウス誕生の地でもある。ゴート人やフン人による破壊ののち、カロリング朝期には多くの特権を得て再興され、12世紀に自由都市となるが、1318年カッラーラ家の支配下に入った。しかしその間も毛織物と絹織物が盛んで、この時期はパドバの最盛期にあたり、現在の中心街はこのころに建造されている。1405年ベネチアの勢力圏に編入されるが、繁栄は続いた。短いフランス統治時代を挟み、1797年よりオーストリア領となったのち、1866年イタリア王国に統一された。

[在里寛司]


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「パドバ」の意味・わかりやすい解説

パドバ

イタリア北部ベネト州の都市。ベネチアの西約35kmにあり,ベネト州で最も重要な商工業都市。農業機械,蒸溜酒,製糖,化学繊維の生産が行われる。ガリレイが教えたパドバ大学(1222年創立),マンテーニャの作品のあるエレミターニ教会,ジョットの壁画で有名なスクロベーニ礼拝堂,ミケランジェロが設計した聖ユスティヌス礼拝堂がある。古代ローマの植民市で,12世紀後半自治都市となり,カラーラ家の支配下で繁栄。15―18世紀ベネチア領。1797年ナポレオンに征服され,1866年イタリアに統一。なお,1545年創立の植物園(世界で最初とされる)は,1997年世界文化遺産に登録された。20万6192人(2011)。
→関連項目パバーヌ

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典(旧版)内のパドバの言及

【ピューリタン革命】より

…47年秋レベラーズは,人民主権の共和国の構想をもつ憲法草案〈人民協定〉を提出し,独立派軍幹部に批判を加え革命の徹底を訴えた。クロムウェルは〈パトニ討論〉を開いて,説得を通して陣営の解体を防ぎ,おりから反革命勢力の策動によって再発した第2次内乱を戦いぬいた。48年暮れには議会から長老派議員が追放され(首謀者の名をとって〈プライド大佐のパージ〉と呼ばれる),議会は独立派だけで構成される残部議会Rump Parliamentとなった。…

※「パドバ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android