日本歴史地名大系 「ヤムクシナイ」の解説
ヤムクシナイ
やむくしない
漢字表記地名「山越内」のもとになったアイヌ語に由来する地名。本来は河川名であったが、コタン名のほか場所・会所名としても記録されている。天保郷帳には「ヤムクシナイ持場」のうち「ヤムクシナイ」とみえ、元治元年(一八六四)「村並」とされ
仮名表記は「ヤムクシナイ」(「協和私役」、島「入北記」など)のほか、「ヤムクシナヱ」(木村「蝦夷日記」など)、「ヤムコシナイ」(「東海参譚」「東行漫筆」など)、「ヤモクシナイ」(木村「蝦夷日誌」)などもある。漢字表記の「山越内」(「西蝦夷地日記」「東行漫筆」「駅路抵記」「観国録」など)のほかに「やむくし内」(津軽紀聞)もある。語義に関しては以下のような記述がみられる。「蝦夷迺天布利」は「ヤムヲコシナヰ」と表記し、「ヤムヲは栗をいふ辞にして、ヤムヲ多かりし沢ちふ事をコタンの名におへり」とする。秦「地名考」はヤムクシナイとして「ヤムは病の意、クシは越なり。ナイは渓なり。此辺すへて温泉の気ありて、石脳油も亦流出す。故に水流ことことく温なり。其中にヤムクシナイのミ清水にして、夏秋殊に冷なり。故に手をいるれは、病の如きの清冷水越来る渓なりと云名ならん歟。清水をヤムワッカと訓するを以て知るへし」「或曰、此辺山林に栗木多し。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報