ヤムハド王国(その他表記)Yamhad

山川 世界史小辞典 改訂新版 「ヤムハド王国」の解説

ヤムハド王国(ヤムハドおうこく)
Yamhad

中期青銅器時代(前1800年頃~前1600年頃)に,アムル人アレッポ中心として築いた北シリアの強国東西・南北両ルートの交点に位置して栄えた。前18世紀前半のヤリム・リムとハンムラビ(同名のバビロニア王とは別人)の治世全盛期で,一時その勢力はハブール川流域にまで達した。しかし台頭したヒッタイトにアレッポを占領されて滅亡

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のヤムハド王国の言及

【アララク】より

…遺構は17層からなり,前3200年ころ居住が開始され,前2100年以後大都市となったことがわかる。前19世紀には大宮殿が出現したが,ハンムラピ時代にはアレッポを首都とするヤムハド王国の一中心地として栄え,ヤリムリムという支配者の宮殿があった(第7層)。それは後のシリア式宮殿建築(ビト・ヒラニ式)の原型とされる。…

※「ヤムハド王国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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