ヤーコポ・オルティスの最後の手紙
やーこぽおるてぃすのさいごのてがみ
Ultime lettere di Jacopo Ortis
イタリアの詩人、作家ウーゴ・フォスコロの小説で、イタリア文学におけるロマン主義の幕開きを告げるもの。1802年にミラノで刊行されたが、重要な増補を加えたチューリヒで刊行の1861年版がある。ルソー『新エロイーズ』の影響から、青年ヤーコポ・オルティスが友人にあてた書簡の形をとって、作者の実体験をなぞるかのように、ナポレオン時代のイタリアの変転する政治情勢下、オルティスの放浪と恋愛、その双方における挫折(ざせつ)と幻滅、その果ての自殺までを物語る。若々しい直感が全編を支配し、ロマン派の先駆者アルフィエーリに似た激しく沈鬱(ちんうつ)な詩情がみなぎる。物語叙述のうえで、政治・社会教育のうえで、スタイルのうえで新時代を画したこの作品は、1800年代前半にまれにみる成功を博し、それゆえに作者フォスコロは亡命、客死を強いられたが、リソルジメントを担う最初の世代は、この本によって自己教育を行ったといっても過言ではない。
[古賀弘人]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内のヤーコポ・オルティスの最後の手紙の言及
【イタリア文学】より
…そしてモンティと同じように,一時期はナポレオン1世に解放者としての夢を託しながらも,U.フォスコロは,故国ベネチアがオーストリアに併合されるや,激動する時代の行方を鋭く見つめながら,イギリスに亡命して極貧のうちにロンドン郊外に客死した。書簡体の長編小説《ヤーコポ・オルティスの最後の手紙》(1802)において,フォスコロは祖国の愛と女性の愛に二重に裏切られて自殺する青年の姿を描いたが,流転の生活のなかにあって,詩人は統一以前のイタリアの文学的伝統を大きな視野におさめ,パビア大学修辞学教授時代(1808‐09)からの考察を進めつつ,異郷にありながら,今日のイタリア文学史の基礎を打ち立てた。とりわけ,当時は,ペトラルカやボッカッチョに比べてむしろ低く評価されていたダンテの文学的価値をあるべき姿に置いた功績は大きい。…
【フォスコロ】より
…イタリアの抒情詩人で,[アルフィエーリ]と並ぶ前期ロマン派の作家。本名はニコロNiccolò。イオニア海の小島ザンテに,ギリシア人を母,ベネチア人を父として生まれる。幼少時代をベネチアで過ごす。早熟で,モンティ風の悲歌やアルフィエーリ風の悲劇《トリエステ》などを早くから発表。ナポレオン戦争に際しては,イタリアの解放者としてのボナパルトをたたえるオードを捧げている。血気さかんで,1797年カンポフォルミオの和議により祖国ベネチア共和国が滅びると,北イタリア共和国軍に身を投じて,対オーストリア戦役に加わる。…
※「ヤーコポ・オルティスの最後の手紙」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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