ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ユスチニアヌス2世」の意味・わかりやすい解説
ユスチニアヌス2世
ユスチニアヌスにせい
Justinianus II Rhinotmetus
[没]711.12. 小アジア
ビザンチン皇帝 (在位 685~695,705~711) 。コンスタンチヌス4世の子で,父の死後 16歳で登位。移民政策によってテマ制度の整備拡張をはかり,自由中小農民層の増加を実現し,さらに税制改革を実施し,国の軍事力を増強した。しかしその独裁主義は逆効果を生み首都コンスタンチノープルの青党 (→デーモイ ) による暴動を誘発 (695) ,退位に追込まれた。そのとき鼻そがれの刑を受け,以後別名「鼻そがれ王」 Rhinotmetusと呼ばれた。黒海沿岸のケルソンに流刑されたが,ブルガリア王テルウェルの援助を受け,705年秋首都入城を果し,チベリウス帝を退け,再び即位。2回目の治世中,イスラム勢力は小アジア深く侵入したが,防戦よりはもっぱら旧敵の復讐を目指し,ケルソンに討伐隊を送るが,逆に反対皇帝バルダネスに敗れ,家族ともども処刑された。
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