ユリウス=クラウディウス朝(読み)ユリウスクラウディウスちょう

改訂新版 世界大百科事典 の解説

ユリウス=クラウディウス朝 (ユリウスクラウディウスちょう)

第5代までのローマ皇帝の家系名。ユリウスJulius家,クラウディウスClaudius家は共にローマの氏族中の名門であるが,初代皇帝ユリウス家のアウグストゥス在位,前27-後14)はクラウディウス家ティベリウス(在位14-37)を彼の後継者として養子とし,両家は結合した。ティベリウスの後,カリグラ(在位37-41),クラウディウス(在位41-54),ネロ(在位54-68)と続くが,68年ネロの自殺により断絶した。その後成立したフラウィウス朝血統権威も劣っていたので,前王朝の諸帝の暴君ぶりや冷酷さが強調された。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

ユリウス・クラウディウス朝
ユリウス・クラウディウスちょう
Julio-Claudian Dynasty

ローマ元首政 (プリンキパツス ) 初期,ユリウス・クラウディウス氏が輩出した,チベリウスガイウス・カエサル (カリグラ) ,クラウディウス1世ネロの諸帝が形成した王朝。アウグスツス帝 (ユリウス・カエサルの養子) が名門クラウディウス氏のリウィアと結婚し,リウィアの連れ子チベリウスがアウグスツスの養子となって帝位を継いだために両家の名による王朝が成立した。以後その一族が帝位についたが,恐怖政治に反感が強まり,ネロにいたって断絶した。

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世界大百科事典(旧版)内のユリウス=クラウディウス朝の言及

【ローマ】より

…属州統治においてはとくに西部では旧来の都市同盟(コイノン)を属州会議(コンキリウム・プロウィンキアエconcilium provinciae)として利用し,皇帝礼拝を許可して帝国の統一を図った。 続く皇帝ティベリウス(在位,後14‐37),カリグラ(在位37‐41),クラウディウス1世(在位41‐54),ネロ(在位54‐68)は,アウグストゥスのユリウス家と,妻リウィアのクラウディウス家の枠内で帝位が移ったのでユリウス=クラウディウス朝と呼ばれる。ティベリウスは元老院との協調性において欠けるところがあり,親衛隊長セイアヌスの専断のゆえもあって,政治的密告と恐怖政治が続いた。…

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