ラッチェンス(英語表記)Edwin Landseer Lutyens

改訂新版 世界大百科事典 「ラッチェンス」の意味・わかりやすい解説

ラッチェンス
Edwin Landseer Lutyens
生没年:1869-1944

イギリスの建築家。ロンドンに生まれ,サウス・ケンジントン美術学校に学んだあと,ジョージErnest Georgeのもとで建築を修業。1889年に独立してカントリー・ハウスの設計をはじめる。友人知己に恵まれ,マンステッド・ウッド(1896,サリー),ヒースコート(1906,ヨークシャー)等の住宅設計により名をあげ,他方ニューデリーの都市計画および同地のインド総督邸(1913-31),アメリカのイギリス大使館(1925-28)等を手がけた。作風は,初期のピクチュアレスクなイギリス民家風様式から壮大な古典主義に進み,大英帝国の建築的威信を表現する建築家となった。機能主義的な近代建築観の中では無視されてきたが,空間構成の巧みさに対して,1960年代末から再評価の声が高まった。
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百科事典マイペディア 「ラッチェンス」の意味・わかりやすい解説

ラッチェンス

英国の建築家。ロンドン生れ。サウス・ケンジントン美術学校をへて,E.ジョージのもとで建築を学ぶ。1889年独立。初期には〈ヒースコート〉(1906年)などのカントリーハウス(英国の典型的な一戸建て郊外住宅)を手がける。やがてさまざまな古典様式を折衷する作風に変わり,米国の英国大使館(1928年),ニューデリーの都市計画およびインド総督府(1930年)などによって英国を代表する建築家となった。没後,機能主義建築中心の時代には評価が低かったが,1970年ごろポスト・モダニズム思潮にともなって再評価された。

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世界大百科事典(旧版)内のラッチェンスの言及

【近代建築】より

…しかし,これらは決して反動的傾向ではなく,30年代までは,むしろ古典主義の延長線上にある造形が建築の主流をなしていた。古典主義の立場で創意を示した建築家の典型例に,イギリスのラッチェンスがいる。
[国際様式の定着]
 第2次世界大戦の勃発によって建設活動は停滞したが,戦後の復興を迎えたとき建築を支配したのは国際様式であった。…

※「ラッチェンス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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