翻訳|modernism
一般的には,伝統社会の社会的・文化的構造からの脱却を企図する精神的傾向を指す語で,〈近代主義〉と訳される。狭義の〈近代主義〉は封建社会から資本主義的市民社会への移行期における,その普遍的な正当化原理として明瞭な時代精神の特徴をもつが,広義には,近代化modernizationなどとともに,この移行にともなう社会・文化諸領域の没主体的な変化それ自体から,伝統社会化したブルジョア的市民文化への対抗という主体的・積極的な主張まで幅広い意味が含まれている。この,後者の意味での〈モダニズム〉は,典型的には,19世紀末から20世紀にかけてヨーロッパで興ったさまざまなアバンギャルド芸術運動にみられ,根源的な懐疑精神に貫かれた,ブルジョア文化に対する急進的な批判である。この運動は文学・演劇・美術などの諸ジャンルにおける革新的なスタイルを生んで現代芸術に決定的な影響を与えた。しかし一方,〈モダニズム〉は資本主義による,生活・文化・社会全般の産業化,機能化,商品化の促進とその絶えざる革新のための標識でもあり,テクノロジーの高度化によって,批判精神としての〈モダニズム〉はしだいに容易に侵食され風化されるものとなりつつある。
→アバンギャルド
執筆者:山田 登
キリスト教におけるモダニズム(近代主義)は,カトリック,アングリカン・チャーチ,プロテスタントのそれぞれにみられる。カトリックでは1870年以後,第1バチカン公会議にそっての教皇権の強化(〈教皇無謬説〉)と客観主義を重視する新トマス主義に対立して,時代の学問と文化に目をひらくべきことを主張する人びとが現れた。〈モダニズムの父〉と呼ばれるA.F.ロアジーは信仰と理性の関係を問い直し,プロテスタント神学の歴史的・批評学的方法を取り入れた聖書研究を行った。しかしA.vonハルナックが教義史は宗教改革でもって終わると主張したことに対しては,カトリック教会と教義の発展を掲げて対抗した。E.ル・ロアはベルグソンの〈生の哲学〉とカトリシズムとの調和をはかった。イギリスの平信徒神学者だったF.vonヒューゲルは教義優先に代えて祈りの敬虔をおいた。イタリアではムリR.Murri(1870-1944)がカトリックの政治参加と民主主義,社会主義の導入を提唱した。ドイツでの運動は活発でなかったが,F.X.クラウスその他によって宗教的心情の回復が説かれた。教皇レオ13世(在位1878-1903)はこれらの動向に比較的寛容であったが,次のピウス10世(在位1903-14)は最初から強硬で,ヒューゲルらを除き聖職者をほとんど破門にし,禁書を命じた。
アングリカン・チャーチでは広教会派を基盤に〈近代主義教会員連盟Modern Churchmen's Union〉(略称MCU)が生まれ(1898),機関誌《Modern Churchman》も発行された(1911)。ラシュドールH.Rashdall(1858-1924),イングW.R.Inge(1860-1954),レークK.Lake(1872-1946)らがこれを指導し,ファンダメンタリスト(根本主義者)に抗して教義と典礼の近代化をはかって,のちのオックスフォード運動にも影響を与えた。
ドイツのプロテスタントでは,シュライエルマハーからK.バルト以前までの神学を広く近代主義神学と呼ぶが,ここでは自由主義神学のほうが一般的名称である。ただし狭い意味での自由主義はD.F.シュトラウス,ビーダーマンA.E.Biedermann(1819-85)のように教義を解消していくもの,および19世紀の終りに登場する宗教史学派(聖書学者に多いが体系的にはE. トレルチが代表する)にみられる。シュライエルマハーは敬虔主義に連なって,教義中心の正統主義を批判し,キリスト教を宗教論と信仰論としてとらえ直すことに努めた。A.リッチュル,ヘルマンJ.W.Herrmann(1846-1922),ハルナックがこれを受け継いで,信仰をその根拠よりも歴史的価値と内容においてとらえることを試み,さらにウォッバーミンE.G.Wobbermin(1869-1943)とR.オットーは心理主義を前面に出した。このように感情,理性,価値判断といった人間学的な要素を重視することがこの時期の神学の特徴であった。
→近代主義
執筆者:泉 治典
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
芸術思潮で近代主義という。初めは新興芸術派(とくに龍胆寺雄(りゅうたんじゆう)ら)が1930年ごろから、カフェーとかダンスホールとかダンサーとかアパートとかネオンサインとかという当時の新風俗で作品を装った、そのモダンなようすをめぐってモダニズムということばが生まれた。しかし、やがてそういう軽薄な意味合いでなく、西欧20世紀文学のまったく新しい文学観念・方法・技法などのさまざまなものを、さまざまに移植または継承・発展させる動きが始まり、その動向の全体をモダニズムというようになった。この変化はすでに新興芸術派自体のなかにはらまれていたが、第二次世界大戦下にかけて新心理主義、シュルレアリスム、主知主義その他において若干の発展がつくりだされ、さらに敗戦後には大幅に全面的に展開するようになった。
19世紀文学との際だった対立においての20世紀文学は、日本でもマルクス主義によるプロレタリア文学と個人主義のモダニズム文学として展開する。ともに伝統とは対立しながら、この相対立する二つの流れは、同時代の生身の芸術家たちによって担われていたために、実際にはさまざまに絡み合い、また移行しあってもいるが、この対立自体は本質的なものである。モダニズムの思潮は、昭和初年から10年代にかけて、プルースト、ジョイス、バレリー、ジッド、D・H・ローレンスらの作品の翻訳と研究を通してしだいに発展し、横光利一(よこみつりいち)の『機械』(1930)、川端康成(やすなり)の『水晶幻想』(1931)、堀辰雄(たつお)の『聖家族』(1930)、伊藤整(せい)の『感情細胞の断面』(1930)、石川淳(じゅん)の『普賢(ふげん)』(1936)などの試みが行われるようになり、それらはやがていちおうの土着と成熟に達する。しかし敗戦によってもう一度根本からモダニズムの洗い直しと存分な展開が図られるようになり、伊藤整、石川淳らの世代からマチネ・ポエティクのメンバーや安部公房(あべこうぼう)に至るまでの、さまざまな世代がそれに参加している。
[小田切秀雄]
『中村真一郎著『戦後文学の回想』(1963・筑摩書房)』▽『小田切進著『昭和文学の成立』(1965・勁草書房)』
19世紀末から20世紀初頭にかけてのカトリック教会内部における近代化的改革運動をいう。フランスのロアジ、イギリスのティレルらが代表者。カトリック教会は第1回バチカン公会議(1870)を境に、教義面でも制度面でも集権化の傾向を強めたが、他方、近代思想や学問からの乖離(かいり)も著しくなった。モダニズムはこうした状況下で、たとえばプロテスタント圏で発達した歴史学的方法により聖書を批判的に考察するなど、新しい視点の導入による改革を企てた。教皇ピウス10世(在位1903~14)はこれを不可知論、無神論などとして、回勅(1907)を発して徹底的に攻撃し、代表者の多くは破門された。第一次世界大戦後の状況の変化もあり、外面的には終息したが、その意図は部分的に典礼運動などのなかに継承されている。
[田丸徳善]
(井上健 東京大学大学院総合文化研究科教授 / 2007年)
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…過去の様式(歴史的様式)から離脱し,鉄,ガラスなどの新しい建築材料を用いた建築を生み出した19世紀末から20世紀初頭の建築に対しては,一般に〈近代運動Modern Movement〉という呼称が,また,過去の様式にはよらない新しい造形が確立された1920~30年代の建築に対しては〈国際様式International Style〉もしくは〈国際近代International Modern〉という呼称が用いられる場合が多い。 建築運動の中で〈近代〉という言葉が最初に用いられるのは,1860年ロンドンの建築協会の集会における〈近代主義Modernism〉という発言であったといわれ,そこでの,様式的に過去から離反しようとする意識は近代建築の基本的性格でありつづけた。国際様式という概念はグロピウスの著書《国際建築Internationale Architektur》(1925)に触発されて,1932年にニューヨーク近代美術館で開かれた建築展に際して,H.R.ヒッチコックらによって命名されたものである。…
…後者はイギリスのアール・ヌーボーの代表者の一人で,その病的なまでに繊細で装飾的な線描は,デカダンスと唯美主義的な傾向をよく反映している。
[モダニズムの展開]
20世紀初頭の大陸のモダニズムはイギリス絵画に新たな脱皮をうながした。未来主義に触発されてW.ルイスが1914年に始めた〈ボーティシズム(渦巻主義)〉はその最初のものといえるが,短命に終わった。…
…この袋小路を脱する道は閉ざされていたので,閉塞状態の中で窒息した市民意識は自己に幻滅し,己の文化への憎悪,激しい自己解体への願望を生んだ。その文化的な現れが,逆説的な否定的ラディカリズムとしてのモダニズムだった。この傾向は第1次大戦前すでにヨーロッパ全体に顕在化していたが,第1次大戦の結果〈ヨーロッパの没落〉が意識されたドイツでとくに尖鋭化した。…
※「モダニズム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
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