16世紀以来,海外に領土を獲得したイギリスの別称。最盛期には全世界の4分の1に達した。帝国の歴史はおおまかに,(1)1763年のパリ条約で完成する〈旧帝国〉,つまり重商主義政策を前提とし,西インド諸島や北アメリカ植民地を核とする段階,(2)政治的な支配地域の拡大よりも,自由貿易主義をふりかざしつつ,圧倒的な生産力にものをいわせて実質的な経済支配を拡大した〈自由貿易帝国主義〉の段階,(3)工業化の波が若干の欧米諸国に広がり,競争が起こった結果,ふたたび政治的支配を含む古典的な植民地政策が展開される〈帝国主義〉の段階,(4)〈コモンウェルス〉の概念が導入された1931年のウェストミンスター憲章以後の,いわば帝国衰退期,の4期に区分することができる。
15~16世紀のカボット父子による探検をはじめとして,とくに16世紀後半にはR.ハクルートのキャンペーンを背景に,新世界を中心として探検航海がしきりに行われた。その結果,1607年には北アメリカのジェームズタウン(現,バージニア州)に永続的な定住地がつくられ,やがてニューイングランド,バージニア,カロライナ,ニューファンドランドなどの北アメリカ植民地が成立した。カリブ海の西インド諸島でも,バルバドスなどに早くから拠点が築かれた。しかし,〈旧帝国〉の枠組みが確立したのは,ピューリタン革命期で,クロムウェルによるアイルランド征服,ジャマイカ占領,東インド会社改組などがなされたうえ,重商主義的植民地政策の基礎をなす航海法の体系も整備された。王政復古(1660)後,3度にわたる対オランダ戦争に勝利したイギリスは,名誉革命以後,ファルツ(アウクスブルク同盟)戦争,スペイン継承戦争,オーストリア継承戦争,七年戦争という四つの対フランス戦争を通じて北アメリカの東半部,アイルランド全域等からなる〈旧帝国〉を完成する。さらに,七年戦争でフランス勢力を駆逐したインドでは,ベンガル地方の徴税権を握るなど,領土的支配の確立をめざす動きを示した。しかし,まもなく北アメリカ13植民地が独立(1776),〈旧帝国〉の構造が崩れたため,しだいに帝国の重心はインドに移る。重商主義時代に重要であったカリブ海の砂糖,バージニアのタバコ,それらの生産の前提となった奴隷などに代わって,産業革命の原料となる綿花の供給,綿布市場,生活様式の変化に伴う茶の供給などが重要になったことも,こうした変化の背景をなしていた。
奴隷貿易の廃止(1807),航海法の廃止(1849)などにみられる自由貿易政策がとられた19世紀前半には,チリ,アルゼンチンなどラテン・アメリカ諸国の経済を事実上支配下においた。しかし,1857年のインド大反乱(セポイの反乱)を契機として,再度政治的支配領域の拡大にのり出し,まずインド全域を直轄化,これと前後して中近東や中国にも進出,セシル・ローズの策動などによってアフリカでもケープとカイロを結ぶ縦断政策を展開,他の列強と激しく対立した。第1次大戦後は前記ウェストミンスター憲章で各自治領の事実上の独立が認められ,第2次大戦後はインドも独立し,帝国は急速に解体されつつある。
→イギリス連邦
執筆者:川北 稔
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