日本大百科全書(ニッポニカ) 「ラムセス」の意味・わかりやすい解説
ラムセス(2世)
らむせす
Ramesses Ⅱ
生没年不詳。古代エジプト第19王朝の3代目の王(在位前1290ころ~前1224ころ)。ラムセス大王ともよばれる。65年間にわたって在位し、国威発揚戦争と巨大建造物に情熱を傾けた。東のアジアでは南下しようとするヒッタイト(ハッティ)王国との戦いを16年間にわたって続けた。カデシュの戦いを経て両者は平和条約を結び、友好のしるしとしてラムセス2世はヒッタイトの王女を妃として迎えた。王は戦いの結末について大勝利と記したが、ヒッタイト側の記録は逆のことを書いている。「引き分け」とみるのが今日の一般的な説である。南のヌビアではナイル川の第二カタラクト(急流)までを征服し、王の威信を示す神殿を8か所に建てた。そのなかの最大のものはアブシンベルの神殿で、カデシュの戦いの経過と結末についての絵図と文が壁面にいまも残っている。王は、アモン神の加護によって大勝利を得たことをそこに述べている。王が国内に完成した多くの建造物のうち、とくに壮大なものはルクソール神殿とラムセオン(ラムセス神殿)である。前者の正面に立っていた2本のオベリスクのうち1本は、今日パリのコンコルド広場に立っている。1982年にはギザ(ギゼー)付近でこの王の神殿跡が発見された。ギザ付近では初めてのことである。
ラムセス2世は、『旧約聖書』の出エジプト記に記されたイスラエル人圧迫の王とされている。そして、イスラエル人脱出時の王は、その子メルエンプタハとされる。
[酒井傳六]
『P・ファンデンベルク著、田島亘裕他訳『ラムセス2世』(1978・佑学社)』▽『高橋哲夫著『ラムセス大王』(1985・叢文社)』