日本大百科全書(ニッポニカ) 「アブ・シンベル」の意味・わかりやすい解説
アブ・シンベル
あぶしんべる
Abu Simbel
古代エジプト第19王朝のラムセス2世の築いた神殿で知られる地。アスワンの上流約280キロメートルのナイル左岸に位置する。神殿は、王自身のための大神殿と妃ネフェルタリのための小神殿の二つからなる。いずれも岩の中に築いた岩窟(がんくつ)神殿であり、地上のギゼーのピラミッドに対比される大建造物である。
大神殿の正面は高さ33メートル、幅38メートル、奥行は63メートルに達する。正面には4体の王の椅坐(いざ)像があり、その高さはいずれも20メートル。中央に太陽神ラ・ホラクティの像が置かれ、上部には太陽を礼拝するヒヒの群れが彫られている。中へ入るとまず幅16.7メートル、奥行18メートルの第1室がある。ここに高さ10メートルのオシリス形ラムセス像が8体あり、壁面のすべてを覆う絵と文字は、王のカデシュの戦いの経過を詳しく述べている。カデシュはシリアの地で、ラムセス2世の軍とヒッタイト軍が決戦をした所である。記録はエジプト軍の勝利を誇らかに述べている。アメリカのエジプト学者ブレステッドが「アブ・シンベル神殿は歴史の宝庫である」と述べたのは、この記録があるためである。第1室につながって、右と左に8室の倉庫がつくってある。第2室は幅7.7メートル、奥行11.2メートルで、天井は神像をかたどった4本の柱で支えられている。壁面の絵は宗教儀式を描いている。第3室は幅7.7メートル、奥行3.2メートルで、画面のテーマは第2室と同じ。第4室は至聖所で、幅4メートル、奥行7メートル。祭壇に4体の神像があり、そのなかの一つは神となったラムセス2世自身である。1年に2回、2月20日ごろと10月20日ごろに、日の出の光がこの至聖所を広く照らし、右端の1体を除いて、3体の神像を浮かび上がらせる。
小神殿は大神殿の北、約200メートル離れた所にある。正面に高さ10メートルの6体の巨像があり、妃のほか王と女神を表している。奥行は約20メートル。三つの室があり、壁面に描かれたものは宗教上の絵と文だけである。
1958年に具体化したエジプトのアスワン・ハイ・ダム計画は、これらの神殿のほか多数の遺跡があるヌビア地方の遺跡を危機に追い込むことになった。人造湖の水位上昇によってヌビア遺跡が水没するからである。ユネスコは、エジプト政府とスーダン政府の要請を受けて、1960年ヌビア遺跡救済のための世界的キャンペーンを開始した。救済の最大の目標はアブ・シンベル神殿であった。世界中の国と民間から醵金(きょきん)が寄せられた。いくつかの救済案のうち、スウェーデン技術師団の解体・移築案が採択され、スウェーデン、エジプト、西ドイツ、イタリア、フランスの会社が共同会社として組織され、1963年に着工した。両神殿は原位置より63メートル高く、120メートル西寄りの地点に、1968年移築を完了した。
[酒井傳六]